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「人はなぜ愛するのか?」バヌスワミ 後編



では、ひき続き11月23日にBYCなかので行なわれたバヌスワミのレクチャー、

「人はなぜ愛するのか?」の後編をお届けします。


質問コーナーからです。

みなさんいろいろな質問を活発にされ、それに対してバヌスワミがいつものように、

丁寧に簡潔に、答えて下さいました。

質問はありますか?
ほんまかいな?とか・・何かありませんか?
みなさん100%納得ですか?
Q これを唱える事と、普通の生活のバランスはどうすれば良いでしょうか?
A その方向は非常に柔軟です。ヴェーダで述べられている他の方法は非常に融通が利かない。非常に正確にやらないといけない。アシュタンガヨーガや、ギャーナヨーガをやるには全てを捨ててやらなければならない。ですから、バクティヨーガというのはみんなが出来るものです。全部捨てたくないという人でも、完成を達成する事が出来ます。あとは、それぞれがどのくらいの時間を、バクティにあてる事が出来るかという事です。
それぞれです。どんな事でも、私達が行った事は、私達の霊的成長を約束してくれます。
時間をもっと使えば、もっと早く成長できます。もし今生でやった分で完成を得られなかったとしても次の生で継続して出来ます。最終的には完璧な幸せ喜びに到達得る事が出来ます。
Q バクティヨーガにどのように時間をさくよりも、どういう姿勢でバクティをするか?
バクティの質というものが変わってくる事に関して。お金のためとか、自分を喜ばせたいとかだんだん動機が変わってくるんですが、質のほうが大切ではないかと思います。
A 最も重要なのが、ディボーション=愛情です。
真摯に真剣に誠実に神に身を委ねるということ。お任せする、従うという事。
5時間もだらだらだらだらやるんだったら、1時間誠実にやったほうがいい。ですから主要な点というのは神に対する愛情を育んでいくという事が一番大切になってきます。
Q 今日のお話の「人はなぜ愛するのか?」という答えは、神を知らない人でもアートマーの部分で神を愛する事を知っているので、この世界で愛を探していると理解してよろしいのでしょうか?
A 究極的には精神界に於ける完璧な神との愛の関係というものがあるんですけれども、それが歪曲した形でこの物質世界に表れている。でも、ある人たちは動物と同じようにそれらは単なる肉体次元のニーズのものとしての関わりを持とうとする。そういうニーズをおとして、肉体的なニーズもおとして、メンタルなニーズもおとして、魂のレベルでのニーズに立脚する事が出来る。かといって、神との愛の関係を築く、そこに存在しているかといったらそうとも限らない。魂には喜びを表現する能力、幸せになる能力を持っている。でも誰もが、この世界では幸せというと自分中心になる。でもそれは自分の事を体とマインドであると言う思い込みから来ている。ですから食べ物でも何でも、自分の喜びのためのものである。また、バクティに於いても魂も幸せを求めている。唯一、自分のため
のものでないもの。そう聞くと矛盾に聞こえる。幸せになりたい、でも、自分がそれを得ようとしてはならない。唯一、愛を表現する事によってそれを得られる。唯一の望みというのは、見返りを期待しない無償の愛です。神に何かを捧げる、でも決して自分のためにその見返りを期待しない。じゃあ、なんで捧げるのか?というのは、愛している、愛ゆえに捧げる、ただそれだけです。それが、できたらそれが結果である。それで私達は幸せになる。ですから、自分が幸せになりたいというのを諦めて、主だけに主の喜びのためだけに愛を捧げる。そして、幸せになれる。自分の幸せのためになんですが、唯一神の幸せのためだけにという矛盾があるわけです。ですから私達はバクティヨガを訓練するわけです。見返りを求めない、なんか神にして神から何かを得ようとしない訓練です。バクティの訓練とは純粋な愛の表現です。その対象が完璧な人物だという事です。ですから、パーフェクトに完璧に応えてくれます。ですから私達は完璧な幸せを得る事が出来ます。
Q 典型的な日本人なので、神をあまり信じてない。それで神社とかお寺によく行きます。そこでお願いします、見返りを。その神様を愛するという事は、普段家族や友人に好意を持ちますが、神に愛情を持つ事はそんなことしていいの、と思ってしまう。神が愛情の対象として分からないのですがそのへんを、どうやったら分かるのでしょうか?
A どっちがベターだと思いますか?非常に親しい人間関係と、神に対する愛情と。
神に対して畏敬の念と、どっちがいいですか?
Q 人間です
A というのは人間を崇めているのかもしれません。一般的に神と言うと畏敬の念で崇拝するというのが普通ですキリスト教でも、イスラム教でもユダヤ教でも、ある種の仏教でも同じアイデアです。でも、ただ畏れから神を崇拝するというのはポジティブな面ではありません。でも何かその望みを満たしてくれるというのは自発的でないです。だから恐れを持ってやっている、何かに強いられているという事です。ですからそのアイデアでは、神との関係をとる、関係を築くというのは難しくなってきます。バクティの方法の中には2種類の方法がある。一つは非常に親密な親子とか友人関係です。もう一方はもっと敬意のある、主従関係、縦の関係です。それでも少しの愛情というものがあります。例えるならば、王とその召使いです。そういう関係でもある程度個人的な関係があります。ラーマチャンドラ知っている人いますか?彼は王様でした。みんなが召使いという主従関係でした。ラーマが至高主であると理解していました。と同時に強い愛情を感じていていました。ハヌマンはその愛情からラーマに偉大な奉仕をしました。神とそういう関係をとりたかったら、そういう関係を築く事も出来ます。
Q 神と自分自身の関係で一番ベストな関係とは何ですか?
A あなたが自分で決められます。恋人にも、親にも、友人にもなれます。もち論、一番親密な関係がゴピーと呼ばれる恋人関係です。それがさっき紹介した、主チャイタンニャが指摘した、最も最高の神との関係だと指摘しました。
Q 戦争の原因が4つありましたが、私は一番大きな原因は宗教だと思います。自分が一番だと言って争う。私達日本人でもある特定の宗教を信じている人は村八分にされたり、変な目で見られる事が多い。そういう傾向の中で、私達はお互いをどうやって理解していけばいいのかが、疑問です。
A それが確かに問題です、というのは宗教を人が個人的な理由で使っているという事です。それがそのさっき言った、肉体と心のニーズ=宗教というのは自分が信じるのものを、肉体のレベルとマインドのレベルで自己中心に満たそうとする行為であるから、魂を完全に無視している。魂を無視している。私たちはどんなものでも、間違って使う事ができます。つまり、私たちは、科学を間違った方法で使う事ができます。私たちは、サイエンスを使って人々を助ける事もできますし、私たちはサイエンスを使って、人類をはめつに追いやる事もできます。なぜ、政府は80-90%の財政を科学に投資しているかと言うと、科学を防衛のために使うからです。それは、核兵器だけではありません。バクテリアなどを使っての、生物化学兵器などもそうです。人を病気にさせて殺すよいうもので、
科学というものは最悪の使い方をする事ができます。科学者が宗教が悪いと指摘しますが、よく見ると科学者のほうが最悪です。彼らは、人類を破壊するだけではなくて、全てを破壊します。核兵器を使えば、全てを汚染してみんなを殺していまいます。
Q 私たちは、一体どうしたら良いのでしょうか?
A 個人的なレベルでは、真理を見つけるべきです。
自分が誰なのかという事を、見つけるということ。どんな世界変革も自分から始まります。政府が、みんなにこれをしろと、強いる事はできません。一人一人のハートが、心が変われば、世界が変わっていきます。
ニューエイジの人たちはみんな無償の愛を口にします。でも、彼らが言っている無償の愛を実践的な方法で達成するのがこのバクティヨガです。
他にありますか?
Q バクティヨガをはじめる、スタートはどんな動機でも良いのですか?
A 最初はどんな動機から入っても良いです。そういうのをミックスバクティといいます。でも、最終的には純粋なバクティに至るべきです。というのは、クリシュナに何かを捧げるかもしれません。でもそれは、この世界が苦しいから、解放を求めて神に何かを捧げることかもしれません。それは自分のためです。私たちはそれは望みません。私たちは、ただ神に喜んでもらうためだけに愛を捧げます。これが純粋なバクティです。
もっと、いい結果が得られます。
Q 捧げる事、愛情を神に捧げるというこの二つが・・神と自分自身の関係を築く方法がバクティヨガですか?
A それが原則です。そのために私たちはいろんな事ができます。神をたたえたり、食事を捧げたり、または瞑想したり。いろんな方法で愛を捧げます。

Q バクティというのは、自分の感覚を使ってやればなんでもよいのですか?
A いや、経典にないものをでっち上げてはいけません。たとえば、肉や酒を捧げるのは神は望んでいません。
より高いゴールというのは非常に明快でわかりやすいのが、特徴です。そして、その方法もすごくわかりやすい、シンプル、簡単。ゴールは”愛”で、方法も”愛”。簡単です。

Q 信仰心ゼロの家庭で育ちました、目に見えない、感じない、イメージすらできない神をどうやって愛すれば良いのか皆目見当がつかない。どうしたら良いのか?
A そのために経典の教えを受け入れる必要があります。自分で想像して捏造して神に至る事はできません。そうすると、真理に至る事はできません。ですから私たちの五感を超えたものなので、私たちの五感が障害になります。ですから、この五感の働きをストップさせるというのが、ひとつの方法になります。それがヨガです。それをストップすれば、アートマーの働きが表れて、神を知覚する事ができます。でも、それは非常に難しい方法です。簡単な方法は、五感や心を止める事ではなくて、それを使って、アートマーの愛を育むというものです。そういう活動をする、それを神に捧げる。そういう事をしていく事によってこの肉体レベルの物質的五感というものがストップして魂が現れてきます。そして神との関係を築いていくことができるようになります。言い換えれば、五感がストップして、精神化する事ができます。スピリチュアルな体。バクティヨガの主要な方法が、このマントラを唱える事です。そうすると、五感を通じて、聴覚をつうじてマントラに入って来てアートマーに触れます。そうするとアートマーが目覚めて神を知覚する事ができます。
じゃあ、それをやりましょう。

(といって、キルタンがはじまる。)

以上です。

長くなりましたが、完全版でお届けできました。

文責 ヤムナ








by govindasyamuna | 2014-01-21 22:08 | バガヴァッド・ギーター他・法話
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ヨガってアサナだけじゃない、食事、瞑想、哲学、音楽を通してバクティヨガを日々の生活に取り入れましょう。生きる力を感じて内面はエキサイトして、外見はクールに生きるお手伝をします。


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