さだまさしさんの”防人の詩”をヤムナ流に理解して言葉にしてみました




先日思い出したことがあります。



かなり昔、私が二十歳の頃だから、今から30年ほど前の話です。

さだまさしさんの『防人の詩」ってご存知ですか?

彼は、日本人の情緒あるいは仏教感を、美しい日本語と、メロディーと、声と、おしゃべりで伝えられる
素晴らしい才能を持った方だと思います。


今日は、この詩を、ヤムナの勝手な解釈でお話ししてみたいな、と思います。

まずは詩です。


防人の詩   さだまさし

おしえて下さい
この世に生きとし生けるものの
すべての命に 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

私は時折 苦しみについて考えます
誰もが等しく 抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いていく悲しみと
病の苦しみと 死にゆく悲しみと
現在(いま)の自分と

答えて下さい 
この世にありとあらゆるものの
すべての命に 約束があるのならば
春は死にますか 秋は死にますか
夏が去るように 冬が来るように
みんな逝くのですか

わずかな命の きらめきを信じていいですか
言葉で見えない ”望み”といったものの
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちてくる
なりわいの中で

おしえて下さい
この世に生きとし生けるものの
すべての命に 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な 故郷もみんな 逝ってしまいますか

海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な 故郷もみんな 逝ってしまいますか



マドゥに言ったら、暗すぎる、と却下されたのですが。
私はそんなに暗くはないと思います。

ただ、この質問に答えるとしたら

海は死にますか
山は死にますか
風はどうですか
空もそうですか・・・

答えは

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五大元素



五大元素(つまり、この物質界を構成しているもの)=土・水・火・空気・空間で作られているものすべて、私たちの肉体を始めとして全ての物質的なものたちは皆死にます。
海は 水
山は 土
風は 空気
空は 空間(エーテル)
です。

現在、日本でも流行っておりますアーユルヴェーダなどを勉強していらっしゃる方は、物質の五大元素のことはよくご存知と思います。

春は死にますか、秋は死にますか・・・
春夏秋冬、つまりは時間のことですね。カーラ(時間)といいます。
季節は去来しては過ぎ去っていきます、つまり時間も死にます。
というか、時間によって死がもたららされます。
時間こそ死の権化と言えます。


そして心は死にますか。。
はい,死にます。
心も物質でできたエネルギーなので、一時的にあらわれては消えてゆきます。
  
女ごごろと秋の空なんて、うまく言っていますよね。心は、コロコロ変わります、変化しています。

ということで、答えは,はいこの世界にあるものは全て死にます。



でもねつのキーワードがあって、


生きる苦しみ
老いる悲しみ
病の苦しみ
死にゆく悲しみ

ブッダが出家するきっかけとなった、4つの門で見たものです。
生老病死、避けることのできない
すべての命に与えられたものです。
ヴェーダでは、この生老病死が何度も何度も続いていくことをサンサーラ(輪廻転生)といいます。

では、このサンサーラを超えるにはどうしたら良いのでしょうか?

この
生老病死のくだりのあと

『現在(いま)の自分と、といっています。

この言葉は、とっても重要です。

生老病死という体の宇宙を生きている存在にとって、唯一、”命”という永遠性に出会えるドアは、まさに”今ここ”しかないんです。

”今ここ”の永遠の命のきらめきを、クリシュナ(神というすべての喜ばしいものの源)につなげたら、この世界で生きていても、もう大丈夫。何の心配もありません。

どういう意味かって?
つまり永遠に死にません。

”今ここ”に、生きることができれば、命が永遠なのではなく、命のきらめき(つまり意識です)、それこそが永遠にあり続けるものだ、と気付き続けれるからです。過去にも未来にも行くことはありません。永遠の、今に居続けることができます。

しかも。。。この命のきらめきを毎瞬間与えてくれているのが”神”であり、それが”愛”なのです。
何一つ条件のない、すべてのあらゆる生命に与えられている”愛”です。
だからこの防人の歌の中にある中で”愛”は死にますか?
と問うていますが、神の”愛”だけは永遠に死なないのであります。

そして3つ目のキーワードは望み」です。
魂の、栄養は望みであると言っても、過言ではありません。

なぜなら、人は望みがないと生きてゆくことはできない存在ですから。※注1
このことに、反論する事がどうやってできましょうか!?

彼は,ここで言葉で見えない望みと唄っています。
望み、言葉で見えない”望み”を、
私たち一人一人がこの短い人生で自分で見つけて、育んでいくものかな?
と思います。



でも、言葉に見えない望みを、どうやって見つけていくんだろう。

それは、この上ない喜びの源(神)に、自分という存在の全てを
与え続けることのなかに見いだせるのかもしれません。

または、その方向性をめざすこと自体、それを”望み”というのだと、わたしは思います。



ま、言葉では見えないものなので・・・頭で考える概念ではなく、直接に個人的に感じて体験されるものなのでしょうか?
しかも、外に探すのではなく、意外にもに自分のなかにもともと備わっているものだったりします。



それに ”気づく” ことこそが、ここに生まれた訳ですね。




次の人生のために。
   


ヤムナ






※注1  興味のあるかたは、ヴィクトール・フランクルの
     『夜と霧』をお読みになることをおすすめします。






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by govindasyamuna | 2014-08-26 09:05 | ヤムナのある日のブログ
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