生い立ち日記(小学校〜中学校)
1968年頃の話。
小一の時書いた作文。
『🎶ぶたぶた、いってごめんね。』というタイトル。
🎶ぶたぶたと呼んだのは、私。
呼ばれた人は、私のお母さん。
大好きなお母さん。
なのに、いつも、🎶ぶたぶたと呼んでいた。
ひどい時には、暴力さえ。
だって、そうしたいほど、愛おしくて大好きだったから。
あたしだけのお母さんで、ず~~~~~~~~~っと、いてほしかったから。
でもお母さんは、忙しくて私のことより、他の子供たちの方が大切なんだと思ってた。
だって、お母さんは、小学校の先生。
戦後、教員が不足していた時代に女学校を出てすぐ就職した。
いつも、いつだって、私のところには来てくれない、とふてくされていた。
さみしかったんだね、あたし。
だから、とっても太っていたお母さんを、🎶ぶたぶた、と呼んだのよね、あたし。
ちょっと、今考えると、ポップな感じするわね。
それが、小学校の時の私。
そして、中学校時代。
彼と初めて手を触れた。
彼の掌はじっとりと湿って、そしてとても暖かだった。
そして彼は二十歳の夏に、逝ってしまった。
それは中二のフォーフダンスの時。
私は、密かに焦がれていた彼と手をつなぐ順番が待ちきれなくて、一人の男の子を、とばかしちゃった。
こんくらい、恥ずかしいことはない。
なのに、彼ったら、知らん顔。
全くのポーカフェイスなんだわ。
またここでも、ハートを掴まれたまま・・・。
ギィって音したのわかったもの。
そして、順番、順番です!!
彼と初めて手を繋いだ。
それは、ものすごおく神々しくて、究極の物理的接触。
彼の掌はじっとりと湿って、そしてとても暖かだった。
これは、私の脳の奥のとっても大事な場所に、決して再び更新されることのない場所に記憶された。
(これをサンスクリットでサンスカーラ=過去の印象と言います)
他の男の子の手はというとだいたいにおいて、冷たくてザラザラしていて乾いていた。
だから、私はいつも付き合う相手の男の掌を、とっても気にしてしまう。
それは
彼のことを思い出しちゃうってこともあるけど、
死んじゃうんじゃないか、と。
(バーカ!誰でも死ぬんだよ。)
二十三歳で付き合い始めた人の時も。
酔いつぶれた私は、帰りのタクシーの中で彼としっかり手を繋いでいた。
酔っ払って麻痺した頭の微かに奥の方で、しっかりと記憶している。
「あー、この人は大丈夫。」
それが今の旦那さんなんだわ。
ここいらで一句。
あしたには 命はないと思え あたし