カテゴリ:マドゥのバクティヨガ解説( 13 )


クッキングヨガ

クッキングヨガ

生きとし生けるものを愛するということは、
”いのち”を大切にするということ。

私たちは、すべてのいのちを大切にしたいので、
肉・魚・卵を食べず、豊富な野菜や穀物を摂ります。

野菜にも”いのち”があります。
野菜を摘み取ることにもカルマが発生します。
ですが、出来上がった料理を神に捧げたあとに
それを私たちがいただくことによって、クリシュナが
そのカルマを取ってくれると言われています。
そしてそのお下がりをいただくことで、
私たち自身が浄化されると言われています。

ぜひあなたも実践してみませんか。
肉・魚・卵以外で食事を用意し、神様専用の
小さいお皿を用意し、そこに料理の一部を入れ、
神の絵(クリシュナの絵がベター)
の前に置き、感謝の気持ちで手を合わせてから、
私たちが残りの料理をいただきます。
1つだけルールがあります。
捧げるまで料理中に味見をしないことです
クリシュナに一番最初に捧げてから私たちがいただくという
スタンスだからです。

その料理は、
クリシュナに捧げた段階で、「プラサーダム」という
神への捧げものへと変身します。
そのプラサーダムを食べて自分や周りの人を浄化しましょう。
神も喜んでくれますし、
私たちにとってもヘルシーで無カルマの
大変すばらしい料理となります。

文 マドウマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 18:21 | マドゥのバクティヨガ解説

宗派を超えて

宗派を超えて

一般には、宗教は物質的利益を求めるものとなっています。
「ヒンドゥー教だ」「キリスト教だ」「イスラム教だ」
「この宗教をやっている。あの宗教をやっている、だから宗教は変えられない」
と人はいいます。これが宗教(ダルマ)と呼ばれるものです。

500年前に地球に降誕した主チャイタンニャはいいました。
「主には何千何億という名前があり、
主とその御名は同じであるから、
それぞれの御名が主と同じ力を持つ。」と。

「ヒンドゥー教」「キリスト教」「イスラム教」など、
どの宗教を受け入れても、
それぞれの経典の中にある主の御名を唱えさえすれば、
精神的超地に到達できます。

人生は自己実現のために、
つまり神を愛する方法を学ぶためにあります。
そのためにヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教、 どの方法をとろうと、神の教えに従い、神を愛する方法が学べるのであれば、 それは正しい教えです。

信条・宗教は普遍的ではなく、いつでも変わりえます。
一方で、変わることのない、永遠で普遍の法則のことを、

「サナータナ・ダルマ」

といいます。
宗教の枠を超えて、この永遠の法であるサナータナ・ダルマを
理解することが、人生の自己実現につながります。

主チャイタンニャが最も愛していた弟子の1人である、
ハリダスタークルという人物はイスラム教徒でした。
また、主チャイタンニャの弟子のなかには、
あらゆるカーストの人物がいました。
どのような信仰、立場をとっていようと、
主を愛することができます。
主チャイタンニャは自ら模範を示し、
どんな者でも神の名前を愛をもって神の名前を唱えることにより、 解放を得て神のもとに帰っていけることを説きました。

主チャイタンニャのメッセージを2つの言葉で表現できます。

●「ジーヴェ・ドーヤ」
       =生きとし生けるものに思いやりをもつ。
●「ナーメ・ルチ」
       =神への愛を育てること。

これが主チャイタンニャが始めた
超宗派の教えです。

文 マドゥマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 18:16 | マドゥのバクティヨガ解説

チャイタンニャ

チャイタンニャ


黄金のアバターラ(神の化身)、
シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、
今から500年ほど前にインドのベンガル地方に降誕されました。
主チャイタンニャはクリシュナ自身であり、至上主自身です。
5000年前に編纂されたヴェーダ経典の記述が
それを証明しています。

ヴェーダ経典には神の化身についての予言があり、
それは歴史的事実に一致するものです。

例えば5000年前にすでにヴェーダ経典は
2600年前の神の化身であるブッダの降誕の目的、地名、両親の名前 をも予言しています。

そして主チャイタンニャもヴェーダ経典に記述された神の化身の1人です。


クリシュナは『バガバットギータ』のなかで、
「アルジュナよ。私の降誕、他界、活動をただ理解するだけで、
現在の体を捨てたあとに精神界に誕生できる。」
(『バガバットギーター』4章9節)
と述べています。
精神界に誕生するまで、私たちはこの物質世界の体に入っては
苦しみ、その体を捨ててまた別の体に入るという輪廻を
繰り返さなければなりません。

物質的な体を捨て、精神的な体を得る努力をすることにより、
つまり、神と自分の立場の違いを明確に理解し、
神の意図を理解し、神の教えに従うことによって、
私たちは過去のすべての罪の反動から守られ、
すみやかに精神世界に帰ることができると、
クリシュナは約束しています。

では実際に私たちは、どのように神の意図を理解し、
どんな教えに従えばいいのでしょうか。

それを実践的かつ具体的に教えるために現れた神の化身が、
主チャイタンニャでした。
主チャイタンニャは神自身ですが神の立場をとって降誕したのではなく、 私たちがどのように神に身を委ねるのかということを教えるために、 自らが神の仕え人として現れました。

方法はとても簡単です。神を愛し、讃えることです。
これをバクティヨーガといいます。

現代の私たちは、何千年も前の、
ヨガや苦行によって自己や神を悟った人々のように
精神的に優れてもいなければ、忍耐強くもありません。
そのような道から自己や神を悟ることもできますが、
膨大な時間がかかります。
あと何万回も転生を繰り返さなければならないかもしれません。

ですが神はとても慈悲深く、
すべての存在のなかでも最も慈悲深い存在です。
私たちが実際に知っている人のうちの誰よりも
私たちに親切なのです。

主チャイタンニャは、
ご自身自らが今度は神自身としてではなく、
神に使える者として降誕し、
実際に、どのように神に使えるべきかという具体的な模範を
自ら示すことで人々を導きました。
私たちにも簡単にできる方法を説いてくださいました。

主チャイタンニャは言いました。

「神の名前を唱えなさい。これ以外に方法はない。」と。
神の名前を唱えることは、誰にでもできます。
心の中で唱えてもいいのです。
これならできない人はいません。
神の名前を唱えることによってハートが浄化され、
さまざまな過去のカルマや欲望、感情、執着から
徐々に自由になることができます。
実際に唱えてみるとその効果は明白です。

ハレー クリシュナ
ハレー クリシュナ
クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー
ハレーラーマ
ハレーラーマ
ラーマ ラーマ ハレー ハレー

これを唱えることによって私たちは浄化され、
同時に神を愛し、讃えることができます。
この神の名前は、「ナームアバターラ」といわれ、
神自身であるといわれています。
そのためにこの神の名前は、
特別な慈悲を私たちに授けてくださいます。

文 マドウマンガラ
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 18:13 | マドゥのバクティヨガ解説

クリシュナ

クリシュナ



【至上主の普遍的な性質】

クリシュナとは、今から5000年前、インドに降誕した、
至上主(神)の名前です。

至上主には無数の名前があり、教えには
さまざまなバラエティがあります。
クリシュナ、キリスト、ブッダ、アッラー、エホバ etc・・・
なぜでしょうか。

それはちょうどひとつの太陽を 「太陽」「SUN」などさまざまな言語で呼ぶのと同じです。

インド古代に編纂されたヴェーダの真髄部分といわれる、
『バガバットギータ』は、5000年前にクリシュナが語った節を、
「クリシュナ 語る。」ではなく、「バガヴァーン(神) 語る。」
という形で説明しています。
なぜならば、私たちがバガヴァーン(神)というとき、
5000年前に降誕した神の化身である
クリシュナだけを指すのではなく、
すべての生命体の根源の父であり、
他のすべての神の化身を指すからです。

クリシュナ自身は語っています。
「宗教(ダルマ)が正しく実践されなくなったとき、
反宗教的な風潮が世にはびこったとき、
おおバラタ王の子孫よ、
私はいつどこへでも現れる。」
(『バガバットギータ』第4章7節)

至上主はその時代と場所にあわせ、
直接この世に何度も降誕し、
人類に必要な教えを説いてきました。

例えばブッダもその1人です。
当時の人々はヴェーダを盾にとってカースト制度を誤用し、 身分制度を使って人を差別しました。 そこで至上主は「平等」を説くためにブッダとしてこの世に降誕しました。

神の名前、姿、活動は無限にあります。
人間、動物、精神界の魂、その他無限に存在する魂すべてに
その教えは普遍的であり、時代、宗教、宗派を超えたものです。


【神のパーソナリティ】

至上主は一つでありながら無数の姿(化身)を持ち、 それぞれがまったく同じ無限の質や力を 兼ね備えています。

また同時に、化身にはそれぞれの特徴があります。
なかでもクリシュナは神の最も特別な化身であるといわれています。
クリシュナは5000年前に降誕し、125年間この地球上に留まりました。 クリシュナは他の化身が持つ力や質をすべて兼ね備えていると同時に、 どんな化身も表さなかった特殊な質をもっています。

例を挙げると、クリシュナは個々の人間との関係において、
バラエティに富んだ親密な関係を築くことがあります。

至上主と人間の関係は、一般的に服従関係にあります。
人間は神を供給者、維持者、保護者として
畏敬の念を持って崇拝します。
ですがその関係がすべてではありません。
クリシュナは、「純粋に神を愛する者」に対して
より近しい関係で私たちの愛に応えてくれることがあります。

例えば、バガバットギータに登場する勇士アルジュナを、
クリシュナは友人として受け入れ、
対等な関係を築きました。

また、クリシュナの母ヤショーダもジーヴァ(生命体)でしたが、
最も偉大な献身者(神を愛する魂)であったために、
クリシュナはご自身を彼女の子どもとして、
彼女に保護されるという形で最も親密な関係を築きました。

このように、生きとし生けるものを保護する存在である神が、
人間に保護されるという関係を通して人間と
愛を交換することもあります。
神は人間とのさまざまな関係性を楽しまれることがあるのです。 師弟関係、友人関係、恋愛関係、親子関係など、 主のリーラ(活動)には幅広いバラエティがあります。 基本的には愛の関係は12種類あります。
そのようにして神はすべての人の心を捉えるがゆえに
”クリシュナ”=”すべてを魅了するお方”と呼ばれます。

もちろんこのような神の活動は私たちの理解を超えており、 人間の頭で完全に理解しうるものではありません。
それゆえ、クリシュナはバガバットギータでこう語っています。

「我が顕現と活動の超越性を理解する者は、 その肉体を離れた後に、再び物質世界に誕生することなく、 我が永遠の住処に来たりて住むのだ」(4章9節)
これらの神の活動を理解できるということは非常に稀なことです。
多くの人にとっては大変難しいといわれています。
クリシュナ自身がギータでそのことを述べています。

「人の姿で私が降誕するとき、愚かな人々は私を侮る。 彼らは万有万物の至上主である私の超越的質を知らないのだ。」(9章11節)

「私をよく知らぬ人々は、至上主である私クリシュナがもとは非人格で、 このパーソナリティを装って顕れたと思う。彼らは知識が乏しいために、 より高い我が不変至高の資性を知らないのだ」(7章24節)

では主の活動を理解することがどうすれば可能に なるのでしょうか?
理解は知識(ギャーナ)によってではなく、
神愛(バクティ)によってのみ可能となります。
主の恩寵なしに、私たちが 神を理解することはできません。
神のパーソナリティを理解するために私たちは
バクティヨーガを実践することがすすめられています。

神を愛し、神と私たちとの関係を正しく理解しようと努めることによって 神は私たちの努力に応じて理解を授けてくださるようになります。

文 マドゥマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 18:09 | マドゥのバクティヨガ解説

宇宙の真理

宇宙の真理


『バガバットギータ』や『シュリマドバガバータム』などの経典には 多くの宇宙の真理が説かれています。


1.【物質宇宙】と【精神宇宙】

宇宙には、物質宇宙と精神宇宙の2種類の宇宙が存在します。 「無数の宇宙で構成された物質界は、私の全創造の4分の1である」 ということをクリシュナは説明しています。
創造主のすべての創造物のうち、4分の1は物質宇宙であり、 残り4分の3は精神宇宙です。 物質宇宙についてでさえ、私たちにはひとつの宇宙の状態さえ計りし知れませんが、 何百万という別の宇宙が存在し、 さらに物質宇宙を越えたところに精神空間があり、そこには 数え切れないほどの精神惑星が散在しています。


2.【物質宇宙】

私たちの住む物質宇宙は、精神宇宙の写しであるといわれています。 サーンキャ哲学によると物質宇宙界は24の物質、すなわち、5つの粗雑な物質要素、3つの希薄な物質要素、知識を得るための5つの感覚、機能する5つの感覚、5つの感覚の喜びの対象、マハトゥ・タットゥヴァ(全物質エネルギー)で構成されています。
経験主義哲学者はこれらの物質要素を越えた領域を考えることができないため、その領域をavyacta(アヴャクタ)、説明不可能、と空想します。しかし、『バガヴァッド・ギーター』では永遠(sanatana・サナータナ)な自然界と言われているのですから、説明不可能な世界ではありません。

物質宇宙に存在する惑星は、高位、中位、低位の3つの惑星系(3界) に分類され、さらに細かく14の惑星系に分類されます。 分類は以下のとおりです。(ローカ=惑星)
  1  サッティヤローカ(高位)
  2  タパルローカ(高位)
  3  ジャナローカ(高位)
  4  マハルローカ(高位)
  5  スワルガローガ(高位)
  6  ブバルローカ(地上と天界(高位惑星)の間)
  7  ブールローカ(中位 地球はここに位置する)
  8  アタラローカ(低位)
  9  バイタラローカ(低位)
 10 スタラローカ(低位)
 11 タラータラローカ(低位)
 12 マハータラローカ(低位)
 13 サラータラローカ(低位)
 14 パタラローカ(低位)


14のパタラローカと呼ばれる低位惑星から、1のサッティヤローカと呼ばれる高位惑星まで、 すべての惑星は物質宇宙に存在します。1~6までの惑星を 、高位(天界)惑星と呼びます。 そして7番目に地球が位置するブールローカが存在し、 さらに下には7つの下位惑星が続きます。

私たち中位惑星に転生している魂は、物質に縛られた生活から 喜びと苦しみの両方を経験する場所に位置しているため、解放への望み、 さらに神を求めることへの望みが容易に生まれます。 私たちよりもさらに物質に恵まれた高位惑星、低位惑星はたくさん存在しますが、 苦しみを経験することができないため、物質的幸福に安住してしまい、神を求める機会に恵まれないことがあります。 そういう意味で私たちは今、神を理解するための機会に恵まれているといえるでしょう。



3.【精神宇宙】

物質界を超えたところにパラヴョーマ・精神界という領域があります。その世界は、6つの富のようなすべての超越的な特質を備えています。

精神世界は永遠で至福に満ちている世界です。
ヴァイクンタと呼ばれる精神空間は、私たちがこの物質宇宙で必要としている 太陽や月、電気、火を必要とせず、それぞれの惑星が自ら光り輝いています。 そしてすべての惑星の光輝は、ブラフマジョーティというスピリチュアルな 光輝空間を構成しています。


その世界は精神的な質を備えているため、その世界の中に質的な違いはありません。すべては精神的で善であり、主クリシュナ自身の精神的姿と同じものをすべて備えています。その精神界は主クリシュナの内的エネルギーによって放出されました。主の外的エネルギーによって放出された物質界とははっきり異なっています。

主クリシュナの非人格的な光である遍在するブラフマンは、ヴァイクンタ惑星とともに精神界に存在しています。物質界の太陽光線は人格主神のきらめく光輝であるブラフマジョーティと比べることができるため、物質界と比べることで精神界がどのような世界かを垣間見ることができます。ブラフマジョーティには、精神的な質を持ち、太陽の何倍もの輝きを持ち、自ら輝く無限のヴァイクンタ惑星が漂っています。

人格主神シュリー・クリシュナ、そして主の無数の完全部分体、完全部分体の部分体がそれぞれのヴァイクンタ惑星を支配しています。精神界のもっとも高い部分にはクリシュナローカと呼ばれる惑星があり、3つの区域、すなわちドゥヴァーラカー、マトゥラー、ゴーローカ(あるいはゴークラ)に分かれています。



4.【次はどこへ?】

神に何かを求めて祈り、努力すれば神は必ず応えてくれます。 例えば私たちが物質宇宙の高位惑星へ行って楽しみたいと望んでそのために 努力すれば神は私たちをそこへと導きます。 一方、私たちが、物質世界への執着を捨て、精神世界である 神の御国へと帰ることを望み、正しく献身奉仕を行えば、 そこに到達できるように私たちを導きます。 私たちは、それぞれの望みに応じた場所へと導かれます。


一方、どのような惑星にいようとも、純粋な献身者(神を愛する者)はすべての人の中に神を見出すことができます。すべての森羅万象のなかに神の愛を見出すことができるのです。

物質世界では高位惑星では天国のように物質的な喜びがあふれ、 低位惑星では地獄のような苦しみが続きます。 ですが偉大な献身者にとっては地獄も天国も関係ありません。 ただ、神を愛し、生きとし生けるものを愛し、人々を苦しみから救うことを望みます。 したがって私たちよりも下位惑星にあえてとどまりながら、苦しむ人々を 解放へと導くために働く魂も存在します。

何を喜びとし、何を求めて生きるかによって、生きる目的と行き先を、 私たちはこの広い宇宙のなかからカルマに応じて自ら選択して転生しています。

文 マドゥマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 18:03 | マドゥのバクティヨガ解説

神について

神とは?


神は存在しますか?

よく投げかけられる問いです。
神の存在を科学的に証明することはできません。
なぜならば、神は私たちには知覚し得ない、
私たちを超えた存在だからです。

ですが、最近では物理化学の世界でも
神の存在を認めざるをえないとする主張があります。

今世紀最大のテクノロジーによる賜物は
パーソナルコンピューターに象徴されるように
頭脳に値する機能までをも科学によって作り出しました。
20世紀の文明人と呼ばれる私たちは
科学の進歩に大きな誇りを持っています。
しかし、その偉大な文明の力を創り出した
人間を創ったのは誰なのでしょう?
この宇宙に存在するすべてのものは創られた存在です。
ということは、そのオリジナルが存在するはずです。

その宇宙のメカニズムを知れば知るほど、
その驚くべき神秘と
秩序の背後には何か偉大なる知性
Divine Intelligentが存在していると
科学者が結論するまでに至っています。

そうでなければ、人間には想像すらしえない、
わかりえない真実の根本原因を認識することはできません。     
Something great!!
一切万物の根源、宇宙の根本原理、
それらを司る存在を「神」と私たちは呼びます。

創造主、神、キリスト、クリシュナ、アッラー、ブッダ、エホバ、
神には無数の名前があります。
神は唯一絶対の、「一つ」の存在ですが、
無数の呼び名があります。

文 マドゥマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 17:49 | マドゥのバクティヨガ解説

永遠なる愛

永遠なる愛


ひとつであるということの意味は
個性を失うということではありません。
誰もが自分の個性を活かしたいと思い、
必要とされたい、誰かの役に立ちたいと思っています。

魂の本質においてもその性質は失われません。
ただし、物質次元における愛と
魂のレベルにおけるそれとは質が異なります。
物質次元の愛は一時的であるのに対し、
魂の愛は永遠です。

また、物質次元の愛は「自分」がその中心に位置しますが、
魂の愛は「永遠なるもの」へ向けられます。
その、「永遠なるもの」は、
私たちの「源」である「唯一の存在」ともいえます。
その永遠なる唯一の存在に、永遠の愛を捧げることを
「サナータナ・ダルマ」といいます。

言い換えるならば、私たちは、
誰もが”光の波動”という
「源」からつくられた
「部分」であり、
「部分」である私たちのエネルギーはその「源」に向けられています。

私たちの「源」である存在は、
私たちに常に愛を与えています。
私たちがそのことに気づくずっとずっと以前から
常に私たちに永遠の愛を無条件に与え続けています。

そのことを知り、
「部分」である私たちが「源」に愛を注げば、
その「源」からさらなる愛が与え返されます。

私たちが愛を増せば、源から与え返される愛も増します。

その愛を増すためには絶対条件として
私たちはひとつでなければなりません。
そのためには私たちは物質的二元性から
解放されている必要があります。
そこで質的にひとつとなり、一体となります。

さらに私たちは、
一体感だけで愛を体験することはできません。
対象となる二つの局面が必要です。

「源」つまり「神」と「部分」である「私たち」の間で
愛が交わされるときに初めて、
愛し、愛されることができます。

「同じであり、同時に異なる」
「アチンチャ・アヴェーダ・ヴェーダ・タットバ」
それが主チャイタンニャが説いた究極の哲学です。
神と私たちは質的に同じであるが、
私たちは永遠に神の部分体です。

文 マドゥマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 17:46 | マドゥのバクティヨガ解説

私たちはひとつ

私たちはひとつ

  意識がマインドのレベルにあるときには、
私たちは個々のマインドのなかにある価値観や考え方の違い、
宗教のちがいなどによって対立を生み出します。
または妥協による表面的な調和を図ろうとします。
しかし、意識が魂のレベルにあるときに、
私たちは同じ一つの本質を共有しています。。

その本質とはなんでしょう。

それは愛です。

私たちは「純粋な愛そのもの」なのです。

その「魂の本質」を
サンスクリット語では
「サナータナダルマ」と呼びます。

現代科学の観点から見ても、
私たちはもともとひとつのエネルギーから
成っていることがわかります。
私たちには多様性がありますが原子を分析すると、
最終的にはすべての物質が光の波動から
成っているということがわかります。
さらにそのことはすでに5000年前のヴェーダ経典のなかで
記述されています。

私たちは皆、その光のエネルギーを変換し、
共生しあって生きています。

私たちはひとつなのです。

文 マドゥマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 17:42 | マドゥのバクティヨガ解説

マインドと魂

マインドと魂

マインド(思考・感情・欲望)と
本来の自分(魂)とは別のものです。

マインドとは、考える、感じる、意思する、など、
普段の思考のことを指します。
それは、生まれ育った環境
(両親の価値観や教育、文化、宗教など)
の影響を受けています。

一方魂は自分の本質の部分、
つまり永遠で知識と喜びに満ちた性質を持っています。

マインドは常に流動的で変化しますが、
その変化を見届けているのが魂です。

私たちが本来の自分をマインド、つまり思考、感情、欲望を
自分だと思い込むことによって苦しみを経験します。

マインドは常に活動的な性質を持っているため、
そのマインドにとらわれていると、常に心は落ち着かず、
マインドが毎瞬間作り出すイメージに一喜一憂します。
マインドのなかには肯定的なもの、否定的なものも含め
さまざまな思考、感情、欲望が常に渦巻いていますが、
本当の自分を悟るためには、
これらに執着することをまず手放す必要があります。

文 マドゥマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 17:38 | マドゥのバクティヨガ解説

本当の自分とは?

本当の自分

普段の私たちは日常生活に追われ、
いずれ失ってしまう何かを手に入れようと
一生懸命になっているために常に満たされていない状態です。
心は常に何かを自分の思い通りにしようと夢中になっています。
そこから不安や恐れが生まれます。
それを埋め合わせるために、
一時的な喜びをつなぎ合わせて生きています。
本当の自分を知らないために喜びを外に求めます。

私たちは「モノ」を手に入れるために奔走しますが、
「モノ」を手に入れること自体を目的に
奔走するわけではありません。
「モノ」を通して、得られる
「感覚満足」「満たされた自分」を手に入れたいのです。
自分が満たされていないと感じるために、
不安や恐れが生まれ、
常に何かにとらわれてしまいます。

また、「自分が愛されていない」と感じるときに、
人は大きな不安を感じます。
人はその不安をぬぐうためにいつも愛を探し求めています。
パートナー、恋人、友人、同僚、仲間、家族・・・
愛されたい、癒されたい、という願いは、
すべて恐れや不安から来ています。
自分に愛を与えてくれる何かを求め、
条件付きの幸せをつかむために私たちはいつも一生懸命です。

愛されたいと思うのは、「愛されていない」と感じているからです。
常に満たされていないからです。

これらの自分は本当の自分でしょうか。
本当にあなたは愛されていないのでしょうか。
あなたは本当に、誰かからの条件付きの愛なしでは
喜びや幸せを感じることができないのでしょうか。
人間はこの「満たされない気持ち」に
永久に苦しまなければならないのでしょうか。

いいえ、私たちは、「自分が無条件に愛されていた」
ということ気づくことができるのです。
本来私たちは
至福の喜びに満ちていることを知ることができます。

インドの古代文献「ヴェーダ」には、
人間の本質は
「永遠」であり、
「真の知識」と「喜び」に満ちている存在である、
と説かれています。
これを「サット・チット・アーナンダ」と呼びます。

サットは「永遠」、
チットは「知識」、
アーナンダは「喜び」を指します。
この、「本来の自分」を「魂」といいます。

本来喜びに満ちているはずの私たちは、
これらのことを忘れてしまっています。

文 マドゥマンガラダース
[PR]

by govindasyamuna | 2011-08-26 17:35 | マドゥのバクティヨガ解説
line

ヨガってアサナだけじゃない、食事、瞑想、哲学、音楽を通してバクティヨガを日々の生活に取り入れましょう。生きる力を感じて内面はエキサイトして、外見はクールに生きるお手伝をします。


by govindasyamuna
line