カテゴリ:食べるヨガ~生きるヨガ( 9 )


食べるヨガ ゴーヴィンダズ鎌倉へどうぞ http://govindasmurata.wix.com/taberuyoga

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                      ご無沙汰しています 
                   

                       ヤムナです

                       
                   鎌倉に越してもう半年過ぎました

                 ぼちぼちと ゆっくりと ではありますが

                自宅で、また食べるヨガのご飯を作ろうと思います
                 http://govindasmurata.wix.com/taberuyoga

           HPを作りましたので、どうかご覧になって是非遊びにいらして下さい。



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自宅はこんな感じ

ごくふつうの二階屋です。



どうぞお気軽に友人のうちをたずねる様にいらして下さると嬉しいです。



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お待ちしています。



ヤムナ










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by govindasyamuna | 2014-11-25 21:04 | 食べるヨガ~生きるヨガ

生きるヨガ ”いのちをいただく”を共感的コミュニケーション(NVC)で伝えてみたら・・

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生きるヨガを  NVCで 考えてみました。



NVC的コミュニケーションのしかたというのがあります。

NVCとはノンヴァイオレンスコミュニケ—ションです。

つまり共感的コミュニケーションです。

これは、

以前サッチャ先生の講義でも習ったかと思います。

でもね、
NVCで一番重要なのは,自分が自分の本当のニーズに気づくということ。

この場合、動物は友人だから愛したい、という事だと思います。
(これはこのブログのなかの  ”いのちをいただく”ことに関しての食べるヨガ的見方 
 http://yamunadesu.exblog.jp/18237899/
  の続きで書いているので、興味のある方はその記事も読んでみて下さい)


自分の感じている事をちゃんと言葉にして伝えていいし
いや,寧ろ自分が自分の本当のニーズに気付いてそれを
ストレートに言葉と行動で伝えなくては始ま らないと思います。

そして,その時大事なのは,決して他の人を,非難したりジャッジしたりしないという事です。
決して罪悪感に訴えるような非難をしてはいけないし、心の中で思うだけでも伝わります。

これは、相手に気を使うという事に集中する事より、むしろ
自分の中心から常にぶれずに誠実に言葉を発するということです。



私はどうしたいか,どうありたいかだけを述べ伝えれば良いと思います。

その熱意と率直さに影響されない人がいるでしょうか?

人は,自分が非難されていない時,人の話がそのままストンと入って来るようです。


その人の人生は、他の人が変えられるもので はな く
人はそれぞれ自由意志をいつでも自由に使えるという尊厳がある事に敬意をもつ事だけで充分です。

しっかりと,境界線を引きましょう。

相手の感情の責任を取る事は出来ないし、とってはいけないのです。

相手の感情の責任を取ってしまう事を、共依存といいます。



すべてを与えて下さった神でさえ、その自由意志に立ち入る事はなさいません。
なぜなら愛は強制ではないからです。

愛は、常に自発的であり、愛する事も愛さない事も選べるという状況の中で
本当の魂の二ーズである、自由に愛する事が出来るのです。

ただ、未来を信頼して待っていれば良いのです。
自分の選択で自分の自由を使える事が、どれだけ素晴らしい事かを体 験した人ならば、
誰にでもその可能性のある事は明らかで未来を信じてまつ事が出来ます。

信頼して待つのです。


他人を操作する必要はありません。

自分の事は自分で決めてその行動に責任を持つ事が出来たら、
自由に愛せるはずです。
今、ここで、自分でそれを決める事が出来ます。



人を非難したり、ジャッジしたりしないということが可能なのは、
その人が自分を非難したりジャッジしていない時です。

つまり自分は足りないという恐れがないことです。

そして、自分の感情に責任をもち、自分の事は自分で決められるときです。


自分が神の一部だと 本当に理解できたら、他の生命体も神の一部だと理解できます。
そして繫がりを感じます。そうしたらもう食べたくも、痛めつけたくもなくなるのは当然です。

では、何がそのことを邪魔して感じれなくして”食べてもいい”と思ってしまうのか!?



痛みからこそ,愛を与えられると言う逆説的なお話をします。
その時長い長い間自分が過去のカルマで無意識に行ってきた他の生命体を傷つけた時に生まれた痛みというネガティヴな反応が、その自分の痛みを呼び起こして考え たくない、と抵抗しているだけなのだと、気付いた時には目からウロコでした。
キリスト教の言葉にもあります、

自分の痛みに直面して差し出せば差し出すほど私たちはもっと愛に満ちた人になる。
神と人から恵みを受けているために自分の罪を自由に告白できる人は
より愛に満ちた人になります。



そのためにカルマと言う形で、個々に取り組むべき問題、痛みが与えられているのです。
この痛みは言葉を変えれば、ギフトとも言えます。
私たちがこの固有の痛みというものに対して、抵抗ではなく、与えられたものとして、
進んで自覚していってその無意識の正体に向き合えるようになれば、痛みは自分が作り出した反応にすぎない、自分はその痛みではない、自分は永遠の喜びに溢れた意識であり、今後この痛みの罠から(カルマ)から、出て行く自由がある!と、自分で気付くはずです。



NVCの提唱者であられる,マーシャルローゼンバーグ氏は、
ジヴァムクティヨーガの創始者シャロン・ギャノン女史とのインタヴューでこう語られた
という文章を読んで、私にも当てはまると思いました。

子供への性犯罪でたびたび投獄された囚人のインタヴューで、
なぜ囚人の多くは、子供の頃自分も虐待を受けていたかと疑問に思い、
幼児期の経験について語るように求めると、

その囚人は「自分が経験した恐怖や脅威を誰ともコミュニケーションできなかった事が何よりも恐ろしかった」とほのめかした。

そこで彼はあからさまに質問した。

「あなたにとってそれほどまでに恐ろしい経験をなぜ他の子供たちにしたいと思ったのでしょう?」

すると囚人は「子供の顔に浮かんだ恐怖や恐れを見ると、自分が体験した事を理解できる人間にやっと出会えたと知るからです」と答えたのです。




私の事を少し話します。
子供の頃から両親共働きで単身赴任、生後3ヶ月で他人に預けられた(とても愛情深い乳母です)
私は、”いい子でなければ愛してもらえない”と思い込んで育ってきたので、
自分の感情を自分でも感じないように表現できずに無意識に押しやって来ました。

ですから、今だに実母に対して、感情が湧きにくいです。
うまく、感情をストップさせていたみたいです。

大人になって、主人との間で“さみしい”という事を隠して感情を感じないようにしていた事に気づきそのことを自分に許した時、こどものようにおんおん泣いてしまいました。

それに気づくまではずいぶんと、主人を責めたりコントロールしようとしたりして、
それに対して主人も私の話に耳を傾ける事を嫌がっていました。
その結果そういう自分に罪悪感を感じて疲れるーーというパターンの共依存に陥っていました。

自分のどうしようもない感情の責任を、訳が分からず、主人にとってもらおうとしていたようです。

でも、誰も人に幸せにしてもらうなんて事は出来ないんです。

自分の、恐れ、感情と出会った時、初めて

自分が自分でこの反応を作り出してきたんだーー

と分かったのです。

それを、見なければ手放せない。
同一視している限りは・・・と何度もサッチャ先生には聞いていましたが、
はっきりとは
意味が分かっていませんでした。

何度も何度もくりかえし、被害者意識的になるのはどうしてだろう?

誰も傷つけてはいないのにどうして傷つけられるのだろう?

と本気で考えていました。

この長い長い輪廻のなかで、たくさんの生命体を犠牲にして、暴力を奮い続けてきたカルマによる過去の印象(サンスカーラ)によって、さらに、ネガティブな反応を自分が引き出している仕組みが見えたのです。
ごめんなさい。もうやりたくないです。

自分で自分の事は責任とって行動したいです。




自分の本当の心の声を聞いてほしい!(共感したい、されたい)
というニーズが満たされる事によって、
自由に自分から与える事の喜びを少し、味わっています。

自分の恐れ本当のニーズその両方を見る事。


恐怖を知るだけでなく、その奥 にある本当のニーズに気付く事がどんなに大切でしょうか。

そのためには、どんなネガティヴな感情を自分で作り出してしまったか!

それを見る事は必要です。


そのことが必要ならば、共感できる場があったらいいですね。
それが、先に例に挙げた投獄された囚人が必要としていたニーズなのでしょう。
つまり、共感されたい!共感したい!ということです。

そして、永遠の魂であるアートマーのほんとうのニーズ、
喜びの中で与え続ける事が出来るには、本当にこの世界は神が必要とされるように作られているんだな
とおもいます。

この世界は神が必要とされる様に作られているのか、否か?

この命題の答えがここにありまます。
どんなに、ひどい状況であろうと、幸せの絶頂であろうと。
今現在、罪に服役中であろうと、罪を犯している最中であろうと。

同じ様に神は全ての生命体を愛している。
なぜ?そう言えるかは簡単です。

この世界で自分の意志で息をしてる人がたった一人でもいるでしょうか?

答えは、そんな人は、一人もいないという事です。

まあ、当たり前の事っちゃそうなんですが。

この事に、深く気づくと.ええエーーーという事になるんです。
私何もかも自分でしてたと思い込んでたけどビッリした!になるんです。

自分で体験してみて下さい。この感覚はびっくりだよ。


意識的に呼吸をとめる事は出来たとしても、生まれた瞬間から死ぬまで、自分で呼吸を自分の意志で行っている命なんか
一つも存在しないんです。

みんなに呼吸は与えられている。愛で。
食べ物も、太陽の光も、全ての関係も。
この事に、気づいていくこと。

深く、実感として、神と関係している事を実感する。

つまり生きるヨガです。

そうすると、誰が言ったか知りませんが、毎日が祝祭です。

自分は永遠で、喜びにみちた存在だと、実感するまいにち。
毎瞬間、神から与えられた命を通して、生き続けている驚異。
毎瞬間、神とだけ関係している事。ならば、私も与えたい。
お返ししたい。

そして、全生命体が、私と同じ固有のかけがえのない存在である事。


以前は、「神が愛せない人に、人は愛せない」という言葉にそんなのきれいごとだと思っていました。
隣の人が愛せないような人に、神なんか愛せる訳ないと決めてかかってた。
今は、その真意が理解できます。

神との関係を、わたしが実感を持って深めていったときに、神とつながり、その神にわたしと同様、みんなもつながっている。
初めて全生命に対する愛と敬意を実感する事ができるんじゃないかと感じています。

ここに、やっと生きるヨガの実践があります。

全ての与えられた命を、具体的な生活のなかで一つ一つ意識的に実感していく作業。
意識的に生きていく事。そして、それはとても個人レベルで行われる事。
全ての命が、個人的に神とつながっているんだからね。

それを追求していくと、自分の中の美しさとか、自然とか、素直とか喜び、感動、
または、汚いものとか、活動とか、対峙する事とか
全てに意識的になってアーティスティックな生活になってくると思います。

これはアートな暮らしだと言わざるを得ませんね。

追求していきましょう。



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”生きるヨガ”

わたしの生きるヨガは、こんなのだというのがあったら教えて下さい。



私たちひとりひとりが、そうなれたら
生きるヨガの実践者に
なれたらいいと思います。

一人一人が
この世界の
アーティストです。

たのしい!!




そのための一つの手段が NVCです。

NVCで自分の痛みと感情の奥にある本当のニーズを表現できるようになる事が
どんなに必要かと思います。

これは、アートです!
とっても、創造的でわくわくする事という意味でね。

どうか一緒に、NVCを勉強していきましょう!!


誰も人を変える事は出来ないけれど、神を中心にする事で協力して取り組む事が出来ます。


ヤムナ











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by govindasyamuna | 2014-08-25 17:27 | 食べるヨガ~生きるヨガ

食べるヨガ クッキングクラス・キャンセルのお知らせ

みなさま

           お詫びと変更のお知らせです。

このたび居住地を移転する事になりました。

遅くとも6月中旬には、このうちを引っ越すことと相成りました

まだ移転先は決まっておりませんが、

先日、お伝えしました
食べるヨガの クッキングクラスは、

3月22日 やります!

が、

4月19日  5月24日は、
大変申し訳ありませんがキャンセルさせて頂きます。


また、新しい場所を見つけたら
新しい形で、始めたいと考えています。

3月22日はまだ空きがありますので良かったらご参加下さい。

内容は、和風と言っておりましたが 変更させて頂きます。



簡単なインド風メニューです
ほうれん草カレー
チャパティ
ダルスープ
そば粉ハラバ
豆腐マヨネーズとおからサラダ

といたします。


本当にごめんなさい。




     ※写真はイメージです。今回のメニューとは関係ありません。
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ヤムナ









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by govindasyamuna | 2014-03-19 00:10 | 食べるヨガ

食べるヨガ クッキングクラス開催のお知らせ

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大変お待たせいたしました。

前々から、声を頂いておりました、食べるヨガのお料理教室を

通常の料理教室という枠を外して

たのしく美味しく作ってわいわい食べよう風な『クッキングパーティ』にいたします。


この食べるヨガは、肉魚卵、玉ねぎニンニクを使わない、体と心と魂にやさしいお食事です。
今回は、動物性のものを一切含まない、ヴィーガンメニューを用意しました。
第1回  和風 旬な野菜を使って  豆腐ハンバーグ、若竹煮、木の芽和えなど
第2回  インド風  家庭で出来る簡単なインド風料理 コフタ、ダルスープ チャパティなど
第3回  未定  決まったら、書き込みます。

1回で4〜5品作りますが、他にもたくさんのメニューを用意し食べるときは

メインのおかず、副菜、ごはんもの、スープ、サラダ、甘いものなどなど、

フルプレートでお出しします。

是非ご参加下さい。

日付けは

3月22日  4月19日  5月24日

時間 午前11:00〜午後3:00

受講料 1回につき4800円

の3回シリーズです。

定員10名なので お早めにご予約下さい。

ご予約は


まで、ご参加お待ちしています。




お会いできるのを楽しみにしています〜




ヤムナ
















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by govindasyamuna | 2014-03-03 09:26 | 食べるヨガ

食べるヨガ 改訂版 出来ました!!

                       
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           おまたせしました
           やっとこさ、食べるヨガ(改訂版)が昨年末に
      あらたにバクティヴェーダンタ出版から出版されました。



2010年の5月に出版された「食べるヨガ」がずっと品切れ状態になってご迷惑を、おかけしていましたが
このたびやっと、2012年末に閉店した中野ゴーヴィンダズの味をひっさげて、ヨガメモの部分が改変され
バクティヴェーダンタ出版から新刊として発売されました。

是非お買い求め下さい。

ご注文は下記ににて、アマゾンからお求め下さい。
※(なお、古い「食べるヨガ」の情報を消す事が出来ませんので、今回は是非「食べるヨガ改訂版」で検索して下さい。)





なお、よろしかったらついでにこのブログ内の記事で『人ななぜ食べるのか?』もよんでみてください。
これです。


なにとぞ、よろしくお願いいたします。


ヤムナ




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by govindasyamuna | 2014-01-31 17:23 | 食べるヨガ

ひとはなぜ食べるのか?

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ひとはなぜ食べるのか?

お腹がすくから、。。。たしかに。
身体を維持するため。。。そうですね。
生きていくためにはなくてはならない行為です。

では,もう一歩踏み込んで

世界には空気だけ吸って身体を維持しているヨギも存在します。

人間が生きていくのに,必要なものは、太陽の光、空気、水、食物だそうです。

じゃ,なぜ,あえて,食べるという行為が存在するのでしょうか?


いろいろ考えられます。

私は3つの視点で考えてみました。

まず、①自分との関係。

いま、ここ!!をもっとも体験できる行為だから。
目で見て、香りをかぎ、歯でシャキシャキ噛み、舌でふれ、味わう・・・。

人間に与えられた五感ををこれほどまでに使って,感覚を思う存分満たしてくれることって,
食べること以上にあるだろうか???
喜びの宝庫です。

うちの旦那さんは、毎朝同じものを食べます。

そのたびに、いつも,『うまい!このパンケーキ。』と毎回感動して食べてくれます。
これは,彼がお世辞を言ってる訳ではなく、本当においしい!!と感じているいま、ここ!!の言葉なのです。

このことに気がついたら食べることを、おろそかにしたり、何か他のことをしながら―ーー例えばFacebook見ながらとか,テレビを見ながらなんて、なんて勿体ないと思うはずです。

だから,次に自然にこの感動を人に伝えたくなります。

次②人との関係

私は、人に食べてもらうのが大好きです。

これは子供の頃、
おばあちゃんが,熱々のおにぎりを私に食べさせようと思って握ってくれた、
その、”愛”が詰まったおにぎりだったので、
それはもう美味しくて美味しくて
大きなおにぎりを7個ぐらいペロッと食べていました。

もう,この美味しい感動をひとに伝えたい,
こんなに食べることで感動できるんだよーーーーと、
皆と分かち合いたいという思いなんです。

もう一つ私が,ここまで食べることが好きなのは、母との関係もあると思います。

生後3ヶ月で、母は働きに出て,私はおっぱいから離され、
それ以後おっぱいを飲まなくなったそうです。
一番必要な時にもらえなかったという,”食べることへの執着”なる熱い思いが,
今の私の食べるヨガの、原動力です。
(これは話すと,長くなるのでこの辺にしときます。また別の機会に。)


そして③神との関係

よく,残さずに感謝して頂くのよって耳にします。

一体誰に感謝するんでしょうか?

もちろん,ご飯を作ってくれた人、うんうん
農家のお百姓さん、そうだね
動物を私たちの代わりに殺してくれた人、申し訳ないけど。

その方々に感謝するのは、当然ですね。わかります。

でも、ときどき

犠牲になってくれた動物や魚さんに感謝して・・・と聞く時、

何か
違和感を感じます。

私が,動物を食べていないからでしょうか?
いえいえそうではなさそうです。

私は野菜や果物を食べます。

でも、その野菜や果物に感謝してる訳では無い気がします。

(もちろん,犠牲になってくれているいのちは、わたしにも与えられているこの
 いのちと同じものだと知っているし、それらのいのちと繫がっていることも感じます。)

だからこそ、いのちは、尊いものであり、大切に扱いたいものです。
でも、感謝の対象はあくまでも、そのいのちを授けてくれている、いのちの源ではないでしょうか。

私たちは、そのいのちはすべて繫がっていて、その大きないのちの営みの中に生かされている、
そして、自分はその一部分を受け持っている、これまた尊い、いのちの一つなんですね。


この,野菜、果物、お米、粉、豆などなど。
たくさんのバラエティで。色とりどり、形とりどり、かおりとりどり、味とりどりのものたちを,
ナーーーーーンの代価もなく,
気前よく私たちに振る舞ってくれているもの、

それは,この自然をコントロールしてくれている大いなる存在,つまり神様です。


木々からは、季節の果物が惜しげもなく与えられている!!

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恵みの雨は、大地を潤し種を蒔き、東風が吹けば、春になって、芽を出す。
月は、太陽の光りを反射して、夜中の畑に降り注ぐことで、野菜に滋味を与えてくれている。

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こんな驚くべきことが,当たり前のようにあること。
すべて与えられていることに感謝するしかないですよね~~~~~。

気がつくだけで、すごいことですこれは。

しかも、しかもそれらの食物は何の努力も無しに
身体の中で消化され,栄養になって,私たちを維持してくれている~~~。

どんな天才にも,この身体の中で起こっている,消化のシステムを作り出すことは
できないのに・・・。

私は,つい忘れて,あれがないこれがない、こうしてほしい、こうして欲しくなかった、、
と不平ばかり言っている。

すべて,神から与えられて,すべて自分の中にそして自然の中に備わっている、
このことに気づくために、食べるという行為が与えられているんだ。

シンプルすぎて気付かなかった。


なんで,当たり前と思ってしまうのか。


日々の生活、
今から今日から,自分でできること。

それが食べるヨガ。

何も難しい,アサナをする必要もない。

自分のために、そして、身近なひとのために=パートナーや子供、親、友人に
おいしいご飯を愛を込めて作る行為。

誰もが,必ず毎日やること,息することと、食べることと,排泄すること、

その中に神様の力を見いだしていくこと。
感謝していくこと。
ここにも,あそこにも,与えられていることに気付いていくこと。

食べるヨガは,シンプル,で美味しい。

ただそれだけ。

何を食べるかは、重要ではありません。

思いこそが、jyu-you。

何を食べるかは、重要ではないという意味は、思いによって、
何を食べるかが決まって来るという意味です。

しっかりと、この食べることの意味を意識化できたなら、
自ずと何を食べたらよいかが、わかって来るということです。

私たちは。愛と感謝でできている、
なぜなら神の愛で,できたものを頂いているから。
食べてみたら分かるよ。
喜びに溢れた食べ物を食べると。魂が喜ぶのがわかるから。

神の愛で与えられた材料を調理して,感謝して愛でお返しして頂く行為。

すべては神の愛で作られているので、愛に満たされたものを頂くと喜びに満たされる。


これが食べるヨガ。

よく、神様はハートのあたりにいるって言うけど、私の場合は
おなかにいるな・・食べるヨガの神様。

いつも、ありがとう!


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by govindasyamuna | 2013-08-23 08:32 | 食べるヨガ

”いのちをいただく”ことに関しての食べるヨガ的見方

食べるヨガで培っていくこと

◎毎日の生活できわめて個人的にクリシュナ(神)とつながる経験を持つこと

◎自分に深くつながる(アサナや自分の問題の中で)ことで自分の痛み、
そしてその奥にあるほんとうのニーズにつながる。
(周りの人や状況を変えようとしたり、取り入ろうとすることなしにやること)
人の話ではない,自分のことと内省に徹底することが大切。
外を見るのでなくただ、自分が反応していることに気付き、永遠の自己はそれを観察している。

時に,孤独になることは,必要なこと。
孤独は悪くない。

自分しか分からない、
誰もが一人で生まれて、一人で死んでいく。
今から一人に向き合う準備が必要です。

自分の痛みを見つめる。

私は長い間、自分がなぜ他人から傷つけられるのか納得できないでいました。

自分は何も悪いことなどしていないと本気で思っていた。
カルマの法則(自分のしたことが自分にかえってくること)は知っていました。

きっと、過去生で誰かを苦しめたのね、と解釈していました。
でも、今世でも,たくさんの生命体を傷つけて、当たり前のように気付かずにいました。

本当にごめんなさい。

肉食を通しての、見えない慣習(過去のカルマ)血縁、土地、人種と
愛と暴力の自己矛盾に対する罪悪感にみうごきがとれないでいました。

戦争が終わらない原因も、肉食を続けている我々個人個人の責任だったとは!!

ここに一つのお話があります。

とても良いお話なので”いのちをいただく”で検索して是非読んでほしいです。

これは私の読み方に過ぎません。でも、食べるヨガで是非シェアしたいと思いました。


 
いのちをいただくというお話があります。
 坂本さんと言う、食肉センターで牛を殺すお仕事をしている方の
 お話です。最後に子牛を飼っている,女の子がおじいちゃんに
 食べてやらんとかわいそうだろと言われて、その女の子は
 みぃちゃんごめんね、と泣きながら子牛を食べたというお話です。

 この話をしたあと
 小学校のある先生が子供たちに、命のつながり,命の大切さを教え、
 飢餓の子供もいるのだから残さないで
 犠牲になってくれた動物に感謝して食べなさい
 と教育しています、というブログを見てますます胸がつまる。
  


感謝の本当の対象は、全てをなんの惜しげもなく気前良く与え続けてくれている”神”です。
もちろん自分の食料のために死んでくれた、動物たちのいのちも神から授かったものです。




この何とも言えない、”切なさ”が共依存(お互いの共通の利益や理念,または慣習)です。
極端に言うと罪悪感に訴えて、個人の自由意志を奪うということです。

肉食に関する間接的な見えない暴力かな〜?
肉食の二重の暴力の構造とも言えます。


そこには”愛”に基づいて行動をするという教育ではなく、
罪悪感に訴えかける教育が施されている。

長い間の共同慣習、共同幻想、共同の罪を植え付けるだけ

ただ、肉食を避ければいいだけなのに。

私も食べてるんだから、あなたも食べよう。
そして同じ苦しみを共有し傷をなめ合いながら生きていこう,
という習わしを踏守しているに過ぎない。

しかも、もっと悪いことにそこで自分たちがただ食べたいからという
自分の欲求を満たしている行為に気ずかせず、
もっとかわいそうな食べられない人たちがいるから
という人道的立場にもっていって、
食べ物は残さずに食べようねと
共依存を育てる。


自分の力ではどうしようもできない世の中の悲しみに目を向けさせ、
自分のできること(自分で肉を食べないことは簡単にできるが、
世の中の飢餓を救うことはすぐにはできない。)を、
完全に選択肢から外してしまっている。

そうやって、罪悪感だけはうまく植え付けていって

一向に自分の行動を、きちんと自らのニーズで決められるような、
個人レベルのことに責任の持てない(自由意志を使えない)大人になれない大人たち
に加担していることに、気付いていないということが悲惨です。


だから、それは

自分は足りない!という不足感こそが、苦しみと罪悪感の原因とも言えます。

だから、そこにファーカスさせていく、〜すべきでない,〜せねばならない的教育は共依存です。

もともと
私たちは完全で完璧です。

それは、私たちは完全完璧な神の一部分だからです。

でも,神様のことを今の教育では,誰も教えてくれないから、

与えられたもので充分である、満足していける教育がないから、

あれもないこれもない、ない、ないないない。
ひいては、ほしい、欲しい欲しい、にフォーカスしていく教育になります。

この世界は、神を必要とするように作られているんだな〜と、つくづく感じます。

もし完全な神との関係がない世界に生きていたら人は誰でも、

私はできない,
私はダメだとか、
足りないとか、
他の人が苦しんでいることを、どうすることもできない自分の無力感を感じたくない。
と思います。

そのことを感じたくないから、


だから自分の本当のニーズに、ふたをしてしまう。

どうしたいのか、どう生きたいのか分からない(虚無の)世界に
なんども投げ込まれて、生まれ変わってはまた生きて・・・を繰り返しています。

でも、ふたをしたのは自分です。

だから、その虚無主義の奴隷のふたを外せるのも、自分です。

ただ、希望なる智慧がいります。

それが,古代(たまたまインド)ヴェーダで語り継がれている神様との関係を取り戻す智慧です。

日本にもあったかもしれませんね、そういうお話。



神が今日,私に何を与えてくれているのか?

どんなメッセージを投げかけてくれているのか?

そこにフォーカスして行く生活。

その中心が毎日の食べるヨガです。

食べるヨガを実践することで、
いかにクリシュナ(神)から与えられているか、
与えられているもので満足し、

どんなに愛されているかを実感できる。


そのことだけにフォーカスしていき、
クリシュナの喜ぶことだけを追求していくことだけが、
自分や、全ての生命体の幸いにつながることを実感していけます。

今、私に与えられているものは、なんだろう?


命、空気、食べ物、水、人との関係、時間、カルマ、苦しみ、。。
感謝することとその対象。


あれも、これも、ここにも、あそこにも、、、かぞえたらきりがないけど。

数えちゃおう!!


その与えられた材料をつかって、どうしたいか!
どういう自分でありたいか!

食事の時間、プロセス、食材、アイデア、感情(愛)を食事を通して神に捧げる。

味見せずに菜食の材料を使って、調理して捧げる。

そこの自分にアクセスしていくプロセスがまさに食べるヨガの真髄です。




肉食がいかに悪いか、
または健康のためにどういうものを食べたらよいか悪いかという情報は

もう充分有り余るほどある。

そんなことを聞いても,ネガティヴ感が増すだけ。

そのイヤな感情、否定的な感情を食べている
(あるいはいいことができない自分またはその状況にたいするイライラ感)。

だったらー食べないほうがいいじゃんね。



そうではなくて、クリシュナがインドのヴリンダーヴァンという村で
牛飼いの少年として
どれほど牛を可愛がって友達とあそんでいたか。
村の人々が、どんなにクリシュナの美しさ、勇敢さ、楽しさ、etc.の
際限のない魅力に惹き付けられていたか。
怖い状況からは必ず助けてくれるという、絶大な安心と信頼を置いていたか。

牛たちは、クリシュナ(神)を見るだけで、うれしくてうれしくて
子牛にあげても、まだ有り余るほどのお乳を出し続けたんです。
ストレスなんかあるはずないよね。

これは誇張ではなく、本当に牛と人間は本来共存していけるものであったと
記されています。

今の酪農のシステムとは全く反対です。


もっと、愛情に満ちた話を聞く。

結論は私たちの根底は足りている。
ということです。
外を見渡せば、足りない足りない、で成り立つように見える世界を
変えようとする限り自由はありません。
というか、本当に変えられる方法は、一人一人がうちで満ち足りて,
与えられたもので満足している状態からスタートするしかないと思います。



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そもそもクリシュナは肉を食べろとも食べるなとも言っていない。
好きにしなさい、自由だよ。と言った上で私はこれを喜ぶよと、教えてくれている。

インドの偉大な叙事詩であるマハーバーラタの中で
至上主クリシュナが語った、バガヴァッドギータ—という美しい詩があります。
そのなかでクリシュナは友人アルジュナの御者としてあらわれました。
その姿のクリシュナの事をパーラタサラティといいます。
(クリシュナは、関係性によっていろんな名前といろんな姿を現されます。)
・・・これがまた良いお話があるんですよ〜。またこのブログで紹介します。

クリシュナは言います。

バガヴァッドギーター
9−26
もし人が愛と献身で私に葉,花、果物、水を私に捧げるならば私はそれを受け入れよう。

もしひとが。。。という意味は、自分の意思で選択できる、そのうえで自発的に望むならという意味。

ことはとてもシンプル。
私たちは、だれも友達を痛めつけたくはない、

愛したいとおもっているだけ。

だから実践するだけです。
難しいことではありません。

バガヴァッドギーター
15−13
私はひとつひとつの惑星に入り、私のエネルギーで惑星が軌道を回る。
私は月となって全ての野菜に滋味豊かな生命の水を与える。

15−14
私は全生命体の体内にある消化を司る火であり、出入りする生命の気と合して
私は4種類の食物を消化する。




肉色、特に牛肉をとることに関する弊害

なぜインドなのか?(たまたまインドって言うのも訳があると思う)

牛を保護することの意味
①宗教原則の確立(慈悲心・正直さ・真実性・苦行)
②カルマ的暴力からの脱出
③社会的慣習からの共依存をやめ相互依存で生きる
=共依存からの自立・・・・
傷をなめあう社会から、神の力を借りて傷に気づき自ら癒されることを助け合える社会
(NVCを使ってコミュニケーションする)



長い間の西洋諸国の文化で、罪悪感にまみれた私たちは、
魂の奴隷状態であったことに気づきました。

非人格主義と虚無主義にみちたこの世界で魂の奴隷になっていた私たちが

ちゃんと自分の自由意志で、
歩き出すための平和運動が

この主チャイタンニャが与えて下さったサンキルタン運動です。

ハレークリシュナ
ハレークリシュナ
クリシュナ クリシュナ
ハレー ハレー

ハレーラーマ
ハレーラーマ
ラーマ ラーマ
ハレー ハレー

それは唱えるだけで簡単に神への永遠の愛を呼び起こすことができます。


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by govindasyamuna | 2013-08-01 08:35 | 食べるヨガ~生きるヨガ

食べるヨガ 重版のお知らせ

2年間ずっと,売り切れで,早く再版されないかなと思って待っていた
とっても大好きな本

『食べるヨガ』が,

近々バクティヴェーダンタ出版から、重版されます。


楽しみに待っててね。




詳しくは
ここでまたお知らせします。

うれしいな〜〜。


ヤムナ
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by govindasyamuna | 2013-06-20 14:15 | 食べるヨガ

食べるヨガ 訂正

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今年5月に 東京地図出版から 「食べるヨガ」 というレシピ本を出版しました。

買って下さった方々
作って下さった方々
ありがとうございました。

もっと早くに、買ってくださった皆様にお礼と訂正を
お伝えしたかったのですが、やっとここでお伝えできます。

お詫びと訂正

レシピにミスプリントがありました。
お詫びして訂正いたします。

P.10 豆腐マヨネーズ
誤 塩小さじ2
正 塩小さじ1/2

P.62 豆腐ハンバーグ
正 塩小さじ1
作り方
2.切った全ての野菜と、ナッツ類
  を。なたね油少々で炒める。
調味料で味をつける。

P.90 豆乳スープのサラダラーメン
正 塩小さじ1強

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by govindasyamuna | 2010-12-06 14:07 | 食べるヨガ
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ヨガってアサナだけじゃない、食事、瞑想、哲学、音楽を通してバクティヨガを日々の生活に取り入れましょう。生きる力を感じて内面はエキサイトして、外見はクールに生きるお手伝をします。


by govindasyamuna
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