カテゴリ:バガヴァッド・ギーター他・法話( 10 )


「人はなぜ愛するのか?」バヌスワミ 後編



では、ひき続き11月23日にBYCなかので行なわれたバヌスワミのレクチャー、

「人はなぜ愛するのか?」の後編をお届けします。


質問コーナーからです。

みなさんいろいろな質問を活発にされ、それに対してバヌスワミがいつものように、

丁寧に簡潔に、答えて下さいました。

質問はありますか?
ほんまかいな?とか・・何かありませんか?
みなさん100%納得ですか?
Q これを唱える事と、普通の生活のバランスはどうすれば良いでしょうか?
A  その方向は非常に柔軟です。ヴェーダで述べられている他の方法は非常に融通が利かない。非常に正確にやらないといけない。アシュタンガヨーガや、ギャーナヨーガをやるには全てを捨ててやらなければならない。ですから、バクティヨーガというのはみんなが出来るものです。全部捨てたくないという人でも、完成を達成する事が出来ます。あとは、それぞれがどのくらいの時間を、バクティにあてる事が出来るかという事です。
それぞれです。どんな事でも、私達が行った事は、私達の霊的成長を約束してくれます。
時間をもっと使えば、もっと早く成長できます。もし今生でやった分で完成を得られなかったとしても次の生で継続して出来ます。最終的には完璧な幸せ喜びに到達得る事が出来ます。
Q  バクティヨーガにどのように時間をさくよりも、どういう姿勢でバクティをするか?
バクティの質というものが変わってくる事に関して。お金のためとか、自分を喜ばせたいとかだんだん動機が変わってくるんですが、質のほうが大切ではないかと思います。
A 最も重要なのが、ディボーション=愛情です。
真摯に真剣に誠実に神に身を委ねるということ。お任せする、従うという事。
5時間もだらだらだらだらやるんだったら、1時間誠実にやったほうがいい。ですから主要な点というのは神に対する愛情を育んでいくという事が一番大切になってきます。
Q 今日のお話の「人はなぜ愛するのか?」という答えは、神を知らない人でもアートマーの部分で神を愛する事を知っているので、この世界で愛を探していると理解してよろしいのでしょうか?
A 究極的には精神界に於ける完璧な神との愛の関係というものがあるんですけれども、それが歪曲した形でこの物質世界に表れている。でも、ある人たちは動物と同じようにそれらは単なる肉体次元のニーズのものとしての関わりを持とうとする。そういうニーズをおとして、肉体的なニーズもおとして、メンタルなニーズもおとして、魂のレベルでのニーズに立脚する事が出来る。かといって、神との愛の関係を築く、そこに存在しているかといったらそうとも限らない。魂には喜びを表現する能力、幸せになる能力を持っている。でも誰もが、この世界では幸せというと自分中心になる。でもそれは自分の事を体とマインドであると言う思い込みから来ている。ですから食べ物でも何でも、自分の喜びのためのものである。また、バクティに於いても魂も幸せを求めている。唯一、自分のため
のものでないもの。そう聞くと矛盾に聞こえる。幸せになりたい、でも、自分がそれを得ようとしてはならない。唯一、愛を表現する事によってそれを得られる。唯一の望みというのは、見返りを期待しない無償の愛です。神に何かを捧げる、でも決して自分のためにその見返りを期待しない。じゃあ、なんで捧げるのか?というのは、愛している、愛ゆえに捧げる、ただそれだけです。それが、できたらそれが結果である。それで私達は幸せになる。ですから、自分が幸せになりたいというのを諦めて、主だけに主の喜びのためだけに愛を捧げる。そして、幸せになれる。自分の幸せのためになんですが、唯一神の幸せのためだけにという矛盾があるわけです。ですから私達はバクティヨガを訓練するわけです。見返りを求めない、なんか神にして神から何かを得ようとしない訓練です。バクティの訓練とは純粋な愛の表現です。その対象が完璧な人物だという事です。ですから、パーフェクトに完璧に応えてくれます。ですから私達は完璧な幸せを得る事が出来ます。
Q 典型的な日本人なので、神をあまり信じてない。それで神社とかお寺によく行きます。そこでお願いします、見返りを。その神様を愛するという事は、普段家族や友人に好意を持ちますが、神に愛情を持つ事はそんなことしていいの、と思ってしまう。神が愛情の対象として分からないのですがそのへんを、どうやったら分かるのでしょうか?
A どっちがベターだと思いますか?非常に親しい人間関係と、神に対する愛情と。
神に対して畏敬の念と、どっちがいいですか?
Q 人間です
A というのは人間を崇めているのかもしれません。一般的に神と言うと畏敬の念で崇拝するというのが普通ですキリスト教でも、イスラム教でもユダヤ教でも、ある種の仏教でも同じアイデアです。でも、ただ畏れから神を崇拝するというのはポジティブな面ではありません。でも何かその望みを満たしてくれるというのは自発的でないです。だから恐れを持ってやっている、何かに強いられているという事です。ですからそのアイデアでは、神との関係をとる、関係を築くというのは難しくなってきます。バクティの方法の中には2種類の方法がある。一つは非常に親密な親子とか友人関係です。もう一方はもっと敬意のある、主従関係、縦の関係です。それでも少しの愛情というものがあります。例えるならば、王とその召使いです。そういう関係でもある程度個人的な関係があります。ラーマチャンドラ知っている人いますか?彼は王様でした。みんなが召使いという主従関係でした。ラーマが至高主であると理解していました。と同時に強い愛情を感じていていました。ハヌマンはその愛情からラーマに偉大な奉仕をしました。神とそういう関係をとりたかったら、そういう関係を築く事も出来ます。
Q 神と自分自身の関係で一番ベストな関係とは何ですか?
A   あなたが自分で決められます。恋人にも、親にも、友人にもなれます。もち論、一番親密な関係がゴピーと呼ばれる恋人関係です。それがさっき紹介した、主チャイタンニャが指摘した、最も最高の神との関係だと指摘しました。
Q 戦争の原因が4つありましたが、私は一番大きな原因は宗教だと思います。自分が一番だと言って争う。私達日本人でもある特定の宗教を信じている人は村八分にされたり、変な目で見られる事が多い。そういう傾向の中で、私達はお互いをどうやって理解していけばいいのかが、疑問です。
A  それが確かに問題です、というのは宗教を人が個人的な理由で使っているという事です。それがそのさっき言った、肉体と心のニーズ=宗教というのは自分が信じるのものを、肉体のレベルとマインドのレベルで自己中心に満たそうとする行為であるから、魂を完全に無視している。魂を無視している。私たちはどんなものでも、間違って使う事ができます。つまり、私たちは、科学を間違った方法で使う事ができます。私たちは、サイエンスを使って人々を助ける事もできますし、私たちはサイエンスを使って、人類をはめつに追いやる事もできます。なぜ、政府は80-90%の財政を科学に投資しているかと言うと、科学を防衛のために使うからです。それは、核兵器だけではありません。バクテリアなどを使っての、生物化学兵器などもそうです。人を病気にさせて殺すよいうもので、
科学というものは最悪の使い方をする事ができます。科学者が宗教が悪いと指摘しますが、よく見ると科学者のほうが最悪です。彼らは、人類を破壊するだけではなくて、全てを破壊します。核兵器を使えば、全てを汚染してみんなを殺していまいます。
Q 私たちは、一体どうしたら良いのでしょうか?
A 個人的なレベルでは、真理を見つけるべきです。
自分が誰なのかという事を、見つけるということ。どんな世界変革も自分から始まります。政府が、みんなにこれをしろと、強いる事はできません。一人一人のハートが、心が変われば、世界が変わっていきます。
ニューエイジの人たちはみんな無償の愛を口にします。でも、彼らが言っている無償の愛を実践的な方法で達成するのがこのバクティヨガです。
他にありますか?
Q バクティヨガをはじめる、スタートはどんな動機でも良いのですか?
A  最初はどんな動機から入っても良いです。そういうのをミックスバクティといいます。でも、最終的には純粋なバクティに至るべきです。というのは、クリシュナに何かを捧げるかもしれません。でもそれは、この世界が苦しいから、解放を求めて神に何かを捧げることかもしれません。それは自分のためです。私たちはそれは望みません。私たちは、ただ神に喜んでもらうためだけに愛を捧げます。これが純粋なバクティです。
もっと、いい結果が得られます。
Q  捧げる事、愛情を神に捧げるというこの二つが・・神と自分自身の関係を築く方法がバクティヨガですか?
A それが原則です。そのために私たちはいろんな事ができます。神をたたえたり、食事を捧げたり、または瞑想したり。いろんな方法で愛を捧げます。

Q  バクティというのは、自分の感覚を使ってやればなんでもよいのですか?
A  いや、経典にないものをでっち上げてはいけません。たとえば、肉や酒を捧げるのは神は望んでいません。
より高いゴールというのは非常に明快でわかりやすいのが、特徴です。そして、その方法もすごくわかりやすい、シンプル、簡単。ゴールは”愛”で、方法も”愛”。簡単です。

Q 信仰心ゼロの家庭で育ちました、目に見えない、感じない、イメージすらできない神をどうやって愛すれば良いのか皆目見当がつかない。どうしたら良いのか?
A  そのために経典の教えを受け入れる必要があります。自分で想像して捏造して神に至る事はできません。そうすると、真理に至る事はできません。ですから私たちの五感を超えたものなので、私たちの五感が障害になります。ですから、この五感の働きをストップさせるというのが、ひとつの方法になります。それがヨガです。それをストップすれば、アートマーの働きが表れて、神を知覚する事ができます。でも、それは非常に難しい方法です。簡単な方法は、五感や心を止める事ではなくて、それを使って、アートマーの愛を育むというものです。そういう活動をする、それを神に捧げる。そういう事をしていく事によってこの肉体レベルの物質的五感というものがストップして魂が現れてきます。そして神との関係を築いていくことができるようになります。言い換えれば、五感がストップして、精神化する事ができます。スピリチュアルな体。バクティヨガの主要な方法が、このマントラを唱える事です。そうすると、五感を通じて、聴覚をつうじてマントラに入って来てアートマーに触れます。そうするとアートマーが目覚めて神を知覚する事ができます。
じゃあ、それをやりましょう。

(といって、キルタンがはじまる。)

以上です。

長くなりましたが、完全版でお届けできました。

文責 ヤムナ







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by govindasyamuna | 2014-01-21 22:08 | バガヴァッド・ギーター他・法話

「人はなぜ愛するのか?」バヌスワミ 前編

みなさん

ずいぶんお待たせいたしました。やっと昨年11月23日にBYCなかのにて、開催された
バヌスワミのレクチャーを全て文字おこしする事ができました。

文字数が多すぎたので前・後半に分けました。後半は質問コーナーです。


是非お読みになって下さい。
以下です。
http://pds.exblog.jp/pds/1/201401/21/43/a0170643_18131375.jpg



a0170643_18131375.jpg


2013/11/23  バヌスワミ 「人はなぜ愛するのか?」

人間の目標と満足

人間の生きる目的について話したいと思います。それぞれみなさん自分なりの人生の目標というものがあるかと思います。でも、よくよく見てみるとみんな似たようなものを追い求めて生きているんじゃないでしょうか?その何かを目標にすることによって、みんな幸せを求めています。

世界中のあらゆる人たちをインタビューして、どのような望みを持っているのかを研究した結果があります。そうすると15項目くらいになります。まず、肉体的に生きていくために必要なこと。みんな何かを知りたがるという傾向がある。動物でさえある程度、好奇心というものを持っている。でも、人間のほうが探究心とか好奇心とかは強い。なぜかというと、より知性が発達しているからです。でも現代の教育では、そこに問題があります。
問題というのは教育によって、私たちの興味がどんなものに向かっていくのかを方向付けられてしまうからです。ですから、教育によって、我々が自然に自発的に知りたいという探究心を阻害してしまうことになるからです。ですから、いつか子供というのは現代の教育を嫌がるようになるわけです。だから、学校に行かなくなる。実際、知りたいというのは人間にとっての自然な性です。好奇心を刺激するような教育を施せば、子供は簡単に学んでいくことが出来ます。生きていく上での必要なものに関連したことを満たしていく好奇心というものが自然に湧いてきます。
また人間は体を動かしたい。ですからエクソサイズや運動を行うわけです。それは動物にも見られる傾向です。でも、こういう傾向も現代のライフスタイルによってで抑圧されています。もう20年間学校で椅子に座りっぱなしである。最初に20年間学校の椅子に座る。卒業すると、残りの30年間はオフィスの事務所の椅子に座り続ける、と。それらの抑圧というのも他の人間の身体的欲求の抑圧になります。またそうすると病気にもなります。
みんなが食べます。植物も、動物も、人間ももちろん食べます。生き続けるためには
体に栄養が必要ですから、食べ続けます。これは動物にも見られます。でも、人間は食べる傾向を他の角度からも求めます。人間は生存のためにのみ搾取するのではなく、喜びのために食べる。それは、舌=味を楽しむですね。舌を満たしたい,もう一つはお腹を満たしたい、その二つです。ですから、世界中を見渡してみれば凄いバラエティにあふれた食べ物があるわけです。舌にはおいしい食べ物でも、その結果として健康をがいすることもある。洗練された文化の人々は、食べ過ぎるという傾向がある、そして食べ過ぎた結果もっと病気になります。
もう一つのニーズは歌舞伎町です。そのセックスも喜びであるわけですが、そこでもまた人間は人口密度をコントロールしなければならない。食べ物と同じように、性生活においても他のことをコントロールしなければ行けないことがあります。人間が生きていく上で生存競争による反動というものがあります。動物も自己防衛をする。動物も生存のために争いあって自己防衛をするわけですが、そのための行為をしたあとというのは全て過去を忘れます。でも人間はひとたび争いになると報復のためにされたことを忘れずに一生引きずる。もしかしたら、何度も生まれ変わっても許せないこともあるし、家族間同士、何世代にも渡って鍔競合いを続けるというケースもあるでしょう。国家レベルでも何百年も対立を続けるということもある。もともとの生存していくために必要なものを満たそうという欲求のために、いろんな危険を作り出している。
これもまた、消極的な面ですが人間にも痛みを避けるという面があります。これもまた、生存に関わるものです。その痛みというのは、体を傷つけるということに関連していて
そしてその体が傷つくということで、生存が脅かされるということになるわけです。
誰もが、人に応じてある程度の人生において組織に帰属するという欲求があります。私たちのゴールを達成するために組織化するということも必要となってきます。
また、人間たちはそれを満たすために極端な方向に走ってしまう。組織なんですが、それを誰か一人のものとして動かされてしまう。そういう状況にいると組織の中にいる人たちは非常に居心地が悪い。痛みすら感じてしまう。
いま,帰属の欲求と反対の欲求がある。独立・自立心の欲求です。誰かがあなたを取り込もうとしたら、あなたが独立的に何か自分で好きなことをしたい時に、他の人があなたを取り込もうとしたらそれを拒否するわけです。これは、個人レベル、社会レベル、国家レベルと拡張していって同じようになるわけです。
次は、積極的なサイドに見られるものですが、つながりを持とうとする。これももちろん、起源は生存の欲求に関わるものです。これはもう古代から見られたものです。なんらかのグループを作って、村をつくる。そのグループを構成する上では心理的舐な面というのを大切にする必要があります。と同時に個々の個別性というものを尊重する必要があります。 そして、もう一つの社会性というものに家族があります。動物たちもそれぞれ家族があります。動物は何ヶ月単位で親のことを忘れて独立し手バラバラになります。しかし、人間はほぼ一生家族と何らかの関わりを持っています。それは、非常に強い欲求であります。子供が育っていく環境で、家族がうまくいっていない環境で育つと子供の成長に非常に問題を起こすわけです。そしてその問題を抱えたこどもが大人になって結婚すると、そこで生まれた子供というのはまた問題を抱えて大人になってしまう、そしてそれが続いていく。ですから、家族の中で個々の家族の一員たちがみんな幸せに家庭生活を送るというのが非常に重要になってくるのです。それによって個々の家族のメンバーが個人レベルでも幸せになって、そして社会全体が幸せになるわけです。でも、しかしこの家族への愛着が強すぎるとそれも問題になります。すごくいい家族で、家族の絆がものすごく強いという家族、そういう家族が死ぬとそれが痛みとなって、残りの人生非常に苦しむことになります。
次のまた15のうちの別のゴール、それは社会貢献です。これもまた抑圧されている状況ではないでしょうか?というのは、自分の生活でいっぱいいっぱいではないでしょうか?時間がない、自分の生活や自分の家族のために使う時間だけで、もう奉仕をする時間がない。昔の生活でしたら、誰もが社会に貢献することを強いられていた。あるコミュニティでは、誰かが家を建てる時にはみんなが協力しなければいけなかった。
次は影響力です。誰もがそれなりに影響力を与えたいと思っている。その、みんながその影響力を発揮したいと思っている、その結果そこに軋轢が起こっている。あるグループから村八分にされるのを非常に恐れる。これはものすごく強い。これは、さっきの個別性、独立性を満たすというものでは逆になります。みんなが、影響力を持ちたい。またみんなが尊敬されたい。日本の社会というのはみんな他の人に敬意を払うのが強い社会です。しかし、ある社会ではあまり他の人々に敬意を表さない。ですからそのような社会は不安定な社会といえる。
道徳性、誰もが正しいことをしようと求めている。その正しさというものを求めている。
しかしながら正しさというのはグループによって違う。ですから、そのグループグループで正しさの価値観が違うので、道徳性というのも二元的なものとなってくる。ですから、本当の道徳性というのは、普遍的な原理原則に基づいている。

で、これが、誰もが持っているある程度必要な15の傾向であるわけです。またこれがあるためにいろんな人と人の間に軋轢があったりするわけです。ですから、その社会人として生きていく上では、その辺をうまく妥協したりしなければならないわけです。

15をもう少し簡潔にすると、真ん中に自分がいて、体の維持のために6つある。お金、労働、休養、健康、所有、教育です。
これらのものによって、この物質世界を維持しています。

こう言う社会的な肉体的な次元のものと、もう一つ違ったこれらのレベルよりもうすこし高い段階のメンタル(心)なレベルのニーズというものがあります。これは、関係に関わるものです。関係を持とうとするのは、もちろん肉体次元の生存の欲求のためでもあるのですが、それ以上の心理的な面の欲求も満たします。まずひとつの関係は、社会との関係。そして友人、親子関係、夫婦関係など、このようにして、私たちは様々な人間関係を必要としています。誰もが幸せになるためにこの肉体を使って、心の必要を満たそうとしています。そういう必要があるわけでが、ここで一つ問題があるわけです。この肉体というのは変化してやがて滅びてしまう。また、そのある立場・地位を手に入れる、それもなくなってしまうかもしれませんし、または家を手に入れる。それも壊れて無くなってしまう。ですから、肉体に関わるものを維持するには継続的な努力が必要になってくる。これを、その肉体の必要を継続的に維持するにはまず20年間学校に通い、そのあと30年間毎日8時間働かなくてはならない。私たちは学校は嫌いだし、会社も嫌いなわけです。非常にストレスのたまる人間たちなわけです。これらの問題というのはそれぞれが同じようなニーズを満たすために日夜争いあっています。一生懸命働いて何かを簡単にしようとしている。お気軽な人生を生きるために必死に働いている。
 それが肉体的な維持に関わるものです。次はメンタル、心の問題に関わるものです。心はいつも不安定です。いつもアップダウン。あっちいったり、こっちいったりしている。そして、みんなが同じような心のニーズを満たそうとしている。心的な欲求、自分の必要を満たすために関係を必要としているわけです。みんながみんな、その関係を自分の思い通りに関係を満たそうとしてみんなが競い合っている。それは怒りに導かれる。その関係によって、私たちは、怒りそして恐れというものに至ります。あるいは、その人間関係によって嘆きます。または、その関係が満たされなかったら攻撃する。
 そのようにして、肉体的なニーズも心的なニーズも満たすのに非常に大変だという事が分かります。
そうして、何のために生きたらいいのか、どうして生きたらいいのかに困惑します。
どういうわけか、私たちの文明が進歩すればするほどわたしたちの嘆きとか苦しみは増えていっているわけです。ここで最初の問いがあるわけです。「私たちは幸せになりたい。なのに苦しみが増えていっているのはなぜなのか?」私達は個人的なレベルでも、国家的なレベルでも、国際的なレベルでも、水とか石油とかで競い合って、国家的レベルで対立しているわけです。生存競争によって国際レベルで経済的な崩壊に至っている。また食料危機もそうです。ある人は日々の糧もない、しかし一方である人は食べ物を蓄え過ぎている。環境問題もあります。空気、水など様々なものが環境汚染によって、私達の生活が聞きを迎えている。社会的危機、政治的危機もある。ある国が戦争をおこしてそれによって他の国が対抗している。なんでそういう事になるのか?みんなが必要を満たされていないという事、肉体的なレベルの必要さえ満たされていない。そして、戦争に至るわけです。このような、食料、経済、環境、政治的危機によって戦争になるわけです。これらの問題に全部終止符を打たなければなりません。なぜなら、人間は幸せを求めているからです。ではどうやって出来るでしょうか?
これらの、今我々が従って生きている公式に問題があります。欠落しているものがあります。何か?それは何が欠けているのか?
それは、私達はいつも体と心に関するものだけに夢中になっているという事です。

”魂”に意識を向けるという事が欠けているのです。

私達は体と心に関するものだけで、幸せになろうとしているのです。目に見える肉体と、目に見えない心を満たそうとしているにすぎない。私達にとって、最も重要な部分を忘れている、魂についてです。その本来の自分ですらないものだけに、意識がすべて注がれてしまっているから。魂は非常にポジティブな質を身につけている。魂というのは本来永遠なる知識を身につけている。
 最初に話しましたが、みんな何かを知りたがっている。何を知りたがっているのかと言うと、自分のこと、つまり魂の事を知りたがっている。何かを知ろう、知識を得ようとしているが本当はもともと私達は知識を持っている。魂というのは、永遠に躍動的・活動的です。私達は、肉体や心を使って家族関係とか、社会福祉とか、健康を維持したりして、いろんな事をしているわけですが、本当にそのことを行っているのは実際は魂なんです。
そして、魂というのは永遠なる喜びを、兼ね備えている。魂がその、本当の完成を遂げる事が出来るわけです。体や心を満たしても、私達の目標を遂げる事は出来ません。魂をぬいて肉体レベルで幸せになろうとするとうまくいかないわけですが、自分もみんなも同じ魂として関係をとろうとすれば、友人であろうが、夫婦であろうが、親子であろうが、どんな関係でもうまくいきます。魂というのは個別の存在ではあるんですが自己中心的ではありません。魂には、肉体的な必要もも心理的な必要もありません。それでも、一つ問題があります。というのは魂レベルでいろんな人間関係を満たそうとしても、肉体というのはやがて終わってしまうわけです。ですから、関係というのが終わってしまうわけです。一時的な関係であるわけです。
魂が持つ永遠の関係というのがあります。魂にとって自然な関係というのは、まず至高なる魂との関係というのがあります。これは、永遠な関係です。肉体的なものではありません。これこそが問題の解決法であるわけです。私達は至高なる魂と永遠なる関係を築く事が出来ます。
その対象というのは、完璧な美しさ、完璧な質を備えています。そして、あなたがした事に完璧に応えてくれます。完璧に振る舞ってくれる。その品減が必要としている関係を、神が全てを満たしてくれる。至高主でありながら友人にもなってくれる。至高主でありながら子供のようにも振る舞ってくれる。あなたは神と恋人になる事も出来ます。このようにして、また神を主として崇める事も出来る。
神と縦の関係を持って、畏敬の念で崇める事も出来るし、また、そういう縦の関係ではなくて対等な関係で、友人関係を築く事も出来る。そして、私達が神の父親・母親として親子関係も築くことができる。神が子供として私たちを親として受け入れる。
そして神は、恋人として友人関係も受け入れてくれる。
これらの5つの関係を、築くためにはそれなりのメソッドが必要です。
神とそれらの関係を築くための方法をバクティヨーガといいます。バクティという意味は愛と献身という意味です。そのバクティによって、魂と至高者の至高なる関係を築く事が出来ます。これを、築くために様々な感覚を使う事が出来ます。
まず、耳を使う事が出来る。神について、聞く事が出来ます。また、神の姿を見る事が出来ます。神の姿を讃える事で、声を使う事が出来ます。主に捧げたお香の香をかぐ事が出来ます。そして、神に捧げた食べ物のお下がり(プラサーダムといいます)をいただいて味わうことが出来ます。また、神の喜びのために体を使っておどる事が出来ます。それらのこういう事を行う事によって、神との愛の関係を築いていく事が出来ます。
また、神を瞑想する事によって、マインドを使う事が出来ます。それら方法の、最も主要な方法が、神の御名を唱えるキルタンという方法です。主チャイタンニャが500年前に降誕されました。このサンキルタンというみんなで集まって神の名前を唱えて踊る、唄うというそういう方法をこの地上にもたらしました。そういう方法によって、神との関係を築いていく事が出来る。そのようにして、神との関係に於いて神との永遠なる関係を築く事にとって、私達が今必要としているすべての必要を満たす事が出来る。また、そのバクティを実践する事によって、肉体的なニーズ、心理的なニーズ、一生生きていく上での必要な全てのニーズが満たされます。







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by govindasyamuna | 2014-01-21 18:20 | バガヴァッド・ギーター他・法話

バカボンの寝言 1

では、

クリシュナはグルとして
私達をどのように
物質世界から解放へと導いてくださるのでしょう?

クリシュナは2種類のグルをとおして私達を解放へと導いてくださいます。。

まず内側からはハートの中のパラマートマーとして、
そして外側からは人としてのグルです。

まず最初に
クリシュナは
パラマートマーとして
私達が人生の問題に直面することで
人生の根本的な問いを発することができるようにしてくれます。

そして真剣に精神的な道を望むようになった時に
人としてのグルに導いてくださいます。

そしてその人としてのグルが
クリシュナのもとに導いてくれるのです。

そのためのガイドブックがバガヴァットギーターなのであります。

つづく。



マドゥ
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by govindasyamuna | 2013-02-18 21:59 | バガヴァッド・ギーター他・法話

マドゥのギーター解説 2月3日のまとめ

  



私たちはアルジュナのように自分の弱さを認めることで

自分の人生には神が必要であると認め、

そこでクリシュナをグルとして受け入れることができるようになります。


「心の弱さゆえに平静なを失い義にかなう道はいずれか迷い果てました、

願わくは最善の道を教えたまえ!

私は貴方の弟子絶対に服従します!」BG2章7説



私たちの身体は船にたとえられます。
人間の人生とは生老病死という荒波を乗り越えて
物質世界という大海を渡りきっていくことを目的としています。

その為には熟達した船長が必要です。

その船長がグルです。

私達がバガヴァットギーターを学ぶということは
クリシュナを自分の人生のグルとして迎え入れるということをなのです。

私たちは今まで「自分の考え方」「自分のやり方」で生きてきて
上手くいきませんでした。

だからこそ「自分の!」というエゴを捨て

心を軽くして

ハートを開いて

クリシュナを迎え入れ私達の人生を導いて頂きましょう!



by マドゥ

OM-TAT-SAT
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by govindasyamuna | 2013-02-05 14:36 | バガヴァッド・ギーター他・法話

バヌスワミの忙しい人のためのギータークラス抜粋

今日は2001年に、東京中野テンプルで行われた

バヌスワミの『働く人(忙しい人のため)のバガヴァッドギーター』クラスセミナーの

抜粋をお届けしますね。




BG for worker (BANU SWAMI) 2001/2/19 4日目


インドの5000年前の経典の
バガヴァッドギータ—の第2章 では、

繰り返し『 我々の本質は 物質= 一時的なものではなく
             精神 = 永遠のもの 』 
            と述べられている

     体に基づいて原則をたてるのではなく
     に基づいて原則をたてる

すると、お金・仕事・娯楽・友人といった

    『一時的なものに惑わされなくなる』

そして、『永遠の原理』に基づいた原則で生きるようになる

魂の質についてのヴェーダの記述
NITYAニッチャ   永遠である 始まり終わりがない
AVIKARYAアビカリャ      変化しない 不変である
AVYAKTA アビャクタ      見えない
ANU  アヌ        非常に小さい 神に頼っている
ACINTYAアチンチャ      とらえがたい 
    その影響力を意識という形で身体全体に及ぼす事が出来る
BHINNA ビンナ    分かれている 個別のものである
AHAN・ ARTHA アハン       自己感 
                   自分が存在するという感覚を個々の魂が持っている
SVARUPA・BHRK スバルーパ   姿がある
JNATA  ギャタ     認識できる
KARTA カルタ      行為者である
BHOKTA  ボクタ       享楽者である
ANSA    アムサ     神に似ている 質が似ている 部分体 
                                    etc.



ジーヴァ(個別の魂)はどう動くべきか?

すべての魂が,一点を中心に動くと統一性ができる 
        
ハーモニーが存在する 軋轢が生じない


自分のために行動するという 方向性を変える

それを実現させるために、『 愛 』を行動の原則にする

  
  自分の方向に皆が引き寄せようとするので 緊張が生じる
        行動のもととなる指針(方向性)を変える

愛の原理に基づくとジーヴァ(個々の生命体)がすべて満たされる
    
博愛主義的活動もよいが対象が一時的であるので真の満足はない


 真の対象は物質的なものではなくて精神的(永遠)なもの=つまり神である


神を否定する                   神を受け入れる
           
物質の体を受け入れる          魂を自己と見なす
偽の自我(私は体だ)=アハンカーラ    私は神の召使いである(全体の一部)
欲望                  神に喜んでもらうという欲
活動                  活動は常に神への奉仕
反動(カルマ)の苦しみ・喜びにあう    反動(カルマ)がない 
                      真に満たされる
                      最も高い喜び(アーナンダ)がある

クリシュナ(神)は64の質を持つ※1
ジーヴァ(個々の生命体)は50の質を持つ

 
アートマー(魂)に備わっている良い質

謙虚さ・誠実さ・憐れみ・忍耐心・決意・親密さ・
美しさ・力・協調性・知性・智慧 etc.




最も中心になる質は!!
  『神に対する服従』自分の利益をいっさい求めず、至高なる人のために
           活動すること=愛を選択する事


   
 人それぞれ全てが個別の存在なので、
 外から強制されるものではない。
 一人一人自分で,形作らねばならない。
 それは内(アートマー=魂)から出てくるもの
 一人一人が,自分の生きるゴールをしっかり定め、
 どういう方法があるかを、
 しっかり見極めなくてはならない。



最終的に目指すところは人格です。

神について知る

魂について知る ことが難しい時代なので、信じる人が少ない

教典がひとつの証拠ですが、信念が必要です。または実践している人の証言が必要。

現代文明だけが、魂の存在を受け入れていない。
間接的な証拠はある・・・・ex.前世を覚えている子どもの例・臨死体験など

〈共通点〉   
身体から出る→自分の横たわっている姿を見る
トンネルの中→すい上げられる→出口は光に満ちている

距離は想念に関係ない
空間的、時間的移動が可能・・・・過去にも未来にもいける






※1「なぜクリシュナと呼ぶのか?」

バクティヨガでは関係性が最も重要だからです。
一般に”神”という概念は、創造者、維持者、供給者,守り主などで考えられ畏敬の念で接するものとされています。これは,ヴェーダで言うヴィシュヌ,他ではアラーやエホバの持つ性質に含まれます。
しかし、”社長”もプライベートでは、妻からは”ダーリン”と呼ばれたり,孫からは”じいじ”と呼ばれ、もっと親密で甘い関係を持つ機会があるでしょう。私たちの,この親密さも神から与えられています。
 また,太陽も、サン,スーリャ、など関係によって様々な名前を持ちます。
 しかし,太陽の実態は一つで同じものを指し示しています。
これと同じように、全ての源の神は一つですが、関係によって様々に呼ばれるのです。
もっと言えば,その人がどんな関係を育みたいかで、”呼び方”は変わりますし、呼ぶ人が選べます。

クリシュナとは”誰もが惹き付けられる最も魅力をそなえたお方”という意味の神の名前です。

ヴィシュヌは60の性質がありますが、クリシュナにはさらに4つ加えられた64の性質があります。

最も開花した状態の関係性(満月にもたとえられます)をクリシュナという
と覚えておけば、これだけが本物だというセクト的な独善に陥らずにすむでしょう。

 最も重要なのは個人個人が、愛をこめて呼べる名前(関係性)を探すという事でしょうか。
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by govindasyamuna | 2013-02-05 10:08 | バガヴァッド・ギーター他・法話

マドゥのギーター解説 『弱さをみとめる』質問

『弱さを認める』ことについて

質問がありました。

自分がこうでありたいってとこ、マドゥーさんがおっしゃるように、自分のつまらないプライドで、ついつい気がついたらみせかけちゃってるんですよね・・ これは取り返しがつかないこと・・ ウソですよね・・ 一番いけないこと    事実をありのまま、なぜそれができないのでしょうか・・  弱いですよね。  頭の痛い自分がいます。  


シェアありがとう!

何故できないのか?

それは「恐れ」です。

弱さを見せるとバカにされるとか、批判されることを恐れていたりするのです。
真我(アートマー)には恐れは存在しません。

偽自我が恐れるのです。

偽自我とは脳が造り出す錯覚でマインドのなかの妄想を自分自身だと思い込むことです。

その偽物の自我は真我をそそのかし何かを失ってしまうんではないかと恐れさせるのです。

弱みを見せたら誰かに負けてしまうぞ!

そうやって恐れさせ愛を追い出してしまう。

しかし勇気をもって弱さを告白できれば偽自我から解放されアートマーを自覚したときパラマートマーから与えられる神の愛が恐れを閉め出してくれるのです」
だから「心の平安」に満たされるのです。


マドゥ。
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by govindasyamuna | 2013-01-29 23:05 | バガヴァッド・ギーター他・法話

マドゥのギーター解説 『弱さをみとめる』続き

  もう少し「弱さを認める」ことについて
     考えてみたいと思います。




「弱さを認める」ことで与えられるもうひつ恵みがあります。それは「心の平安」です。


「弱さを認める」というのは自分を受け入れることなので「自分を見せかける」必要がなくなるので
、肩の荷がおりるのです。


でも「弱さを認める」ことができないと
強く見せかけようとしたり、弱さを隠そうとしなければならないのでいつも不安です。

そしてもっと見せかければ見せかけるほど、もっと不安と恐れが増していくのです。


またそこで問題なのは普段からいつも見せかけてると 見せかけのエキスパート になってしまい
自分でも違和感を感じれなくなってしまう。

ひとは慣れると自分が感じていることが感じれなくなってしまって、これが厄介なんです!。。

弱さを認めるどころではなくなってしまう。。

また、その慣れによって無意識レベルでの不安、恐れによっていつも緊張し
脳にストレスを与えるので身体にも良くありません。

一方、弱さを認めることができるとホッとして
清々しい気持ちになれるんです。

警戒心が解けて 心がオープン になっていき、喜びを感じれるようになる。

傾向として女性より男性のほうが弱さを認めるのが難しいようです。

やはり男のプライドが邪魔するんでしょうね!

良く解ります。

「神に頼るなんて弱いヤツのすることだろぉ!」
「俺は自分を信じ、自分の力で生きていくぜ!」

なんて声が聞こえてきそうです。

皆さんはどうでしょう?

「弱さを認める」ことできるでしょうか?

しかも公然と!


つづく

マドゥ。
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by govindasyamuna | 2013-01-29 17:24 | バガヴァッド・ギーター他・法話

おまけ ギーターにおける様々なヨガのプロセスに関して


VEDAはSambandha.abhideya.prayojanaっという3つの側面から構成されている。
関係、プロセス、ゴール、
まず神との関係を理解すること
ISVARA-JIVA-PRAKRITI
至上支配者ー生命体ー物質自然

神と自分の関係を理解していく中で、
本当の自分と自分でないものが理解できる。

そこから初めて本当の自分のニーズに応えていく人生が始まる。

本当の喜び、本当の幸せ、

神を人生の目的と定める(ブッディヨ—ガ)

人は神との関係を様々に観る

供給者としてのみ神と関わる(カルマヨーガ)
経験哲学によって自分の中に神の質を見いだす(ギャーナヨーガ)
宇宙の秩序と命の源から与えられる永遠の意識を知覚する(アシュタンガヨーガ)
すべての源である神に無償の愛を捧げることで神の姿と性質と活動にこの上ない魅力と喜びを体験する(バクティヨーガ)

わたしに身を委ねる程度に応じて私は報いる
全ての生物は,あらゆる方角から私への道を進んでいる
BG4-11

バがヴァットギータでは、このような様々なヨーガのプロセスが説明されている。
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by govindasyamuna | 2013-01-24 14:01 | バガヴァッド・ギーター他・法話

マドゥのギーター解説 第1章のまとめの続き

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つづき。

クリシュナがアルジュナにギーターを語るために何故嘆きを経験する必要があったのか?

もうひとつ理由があります。それは「弱さを認める」ことです。そこで初めて自分にはグル(人生の導き)が必要だと認めることができるからです。

しかし多くの人は自分の人生がコントロールできなくなっているのにもかかわらずグルを求めようとはしません、何故でしょう?

「プライド」です。高慢さが邪魔をして弱さを認めることが出来ずにいるのです。そして結果としてより高い人生の目的を知る知恵と生きる力に繋がる機会を逃してしまいます。

ですからバガヴットギーターの叡智を理解するための第一の資格は「弱さを認める」こと。それには少しの勇気と冷静さが必要です。
神の無限の力は私たち人間の強さではなく「弱さ」に注がれるのです。


つづく。。
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by govindasyamuna | 2013-01-24 13:49 | バガヴァッド・ギーター他・法話

バガヴァッドギータ—解説 第1章

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今日から
定期的にマドゥのバガヴァットギーター解説をのせていきまーーーす!


BGCのみなさん
こんばんは

マドゥです。

今年は正月早々体調を崩してしまい
20日に初めてクラスが始まりました。

第1章からスタートしました。
参加できなかった方のためにも少しづつポイントをまとめてシェアーしていきたいと思います。


バガヴァットギーターは「アルジュナの嘆き」というタイトルから始まっていますが
そこには理由がありました。
クリシュナはアルジュナを通して私たちにバガヴァットギーターを語りたかったのです。

その為にクリシュナはアルジュナを幻想に陥れ、自分ではどうしようもできない状況に立たされ

「嘆き悲しんだ」のです。

では何故「嘆き」なのか?

それはアルジュナは自分ではどうしようもできない状況に陥って初めて「人生の師」を必要としたのです。

私たちも生きていればアルジュナのように自分ではどうしようもない状況に直面する時があります。
そんな時に初めて人は「何のために生まれて来たのか?」と問うことができます。

これは動物にはできないことで、人間だけが発することのできる「問い」なのです。
つまり「人生を問う」これが人間らしさの本質であるということです。

人として生まれて来た者の第一の問い

それは「ひとは何のために生きるのか?」

その問いに答えるためにクリシュナはアルジュナにバガヴァットギーターを語ったのです。


つづく。。。
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by govindasyamuna | 2013-01-24 12:40 | バガヴァッド・ギーター他・法話
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ヨガってアサナだけじゃない、食事、瞑想、哲学、音楽を通してバクティヨガを日々の生活に取り入れましょう。生きる力を感じて内面はエキサイトして、外見はクールに生きるお手伝をします。


by govindasyamuna
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