食べるヨガ クッキングクラス開催のお知らせ

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大変お待たせいたしました。

前々から、声を頂いておりました、食べるヨガのお料理教室を

通常の料理教室という枠を外して

たのしく美味しく作ってわいわい食べよう風な『クッキングパーティ』にいたします。


この食べるヨガは、肉魚卵、玉ねぎニンニクを使わない、体と心と魂にやさしいお食事です。
今回は、動物性のものを一切含まない、ヴィーガンメニューを用意しました。
第1回  和風 旬な野菜を使って  豆腐ハンバーグ、若竹煮、木の芽和えなど
第2回  インド風  家庭で出来る簡単なインド風料理 コフタ、ダルスープ チャパティなど
第3回  未定  決まったら、書き込みます。

1回で4〜5品作りますが、他にもたくさんのメニューを用意し食べるときは

メインのおかず、副菜、ごはんもの、スープ、サラダ、甘いものなどなど、

フルプレートでお出しします。

是非ご参加下さい。

日付けは

3月22日  4月19日  5月24日

時間 午前11:00〜午後3:00

受講料 1回につき4800円

の3回シリーズです。

定員10名なので お早めにご予約下さい。

ご予約は


まで、ご参加お待ちしています。




お会いできるのを楽しみにしています〜




ヤムナ
















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# by govindasyamuna | 2014-03-03 09:26 | 食べるヨガ~生きるヨガ

食べるヨガ 改訂版 出来ました!!

                       
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           おまたせしました
           やっとこさ、食べるヨガ(改訂版)が昨年末に
      あらたにバクティヴェーダンタ出版から出版されました。



2010年の5月に出版された「食べるヨガ」がずっと品切れ状態になってご迷惑を、おかけしていましたが
このたびやっと、2012年末に閉店した中野ゴーヴィンダズの味をひっさげて、ヨガメモの部分が改変され
バクティヴェーダンタ出版から新刊として発売されました。

是非お買い求め下さい。

ご注文は下記ににて、アマゾンからお求め下さい。
※(なお、古い「食べるヨガ」の情報を消す事が出来ませんので、今回は是非「食べるヨガ改訂版」で検索して下さい。)





なお、よろしかったらついでにこのブログ内の記事で『人ななぜ食べるのか?』もよんでみてください。
これです。


なにとぞ、よろしくお願いいたします。


ヤムナ




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# by govindasyamuna | 2014-01-31 17:23 | 食べるヨガ~生きるヨガ

2/11 中野キルタンナイト


2/11(火)中野キルタンナイトのお知らせ

2月11日(火曜日)
pm5:00〜9:00

中野キルタンナイトです。

キルタンとは、みんなで集まって
神様に唄と踊りを捧げること。
現在行われている、いろいろなパフォーマンスの元はここにあったのです!
みんなで楽しく唄って、踊って、、モリモリ食べよう〜!


           今回は、ゲストにロシア人のお坊様の
           ウッタマ・シュローカ・プラブをお迎えして
           お話して頂きます。






激動の時代のロシアを走って来た方なのですが、とても
物腰の柔らかな方で、いつも興味深いお話をして下さいます。

キルタンも力強く”魂のロシアンキルタン”を堪能して頂けること
間違いありません。無類の日本大好きな方でもあります。

菜食の美味しいお食事付きです。


場所:中野区中野5−6−6 2F BYCなかの
時間:午後5:00〜9:00
会費:2000円





             お問合せ・お申し込み
           govindas_murata@yahoo.co.jp









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# by govindasyamuna | 2014-01-23 00:09 | 瞑想 イベントのお知らせ

「人はなぜ愛するのか?」バヌスワミ 後編



では、ひき続き11月23日にBYCなかので行なわれたバヌスワミのレクチャー、

「人はなぜ愛するのか?」の後編をお届けします。


質問コーナーからです。

みなさんいろいろな質問を活発にされ、それに対してバヌスワミがいつものように、

丁寧に簡潔に、答えて下さいました。

質問はありますか?
ほんまかいな?とか・・何かありませんか?
みなさん100%納得ですか?
Q これを唱える事と、普通の生活のバランスはどうすれば良いでしょうか?
A  その方向は非常に柔軟です。ヴェーダで述べられている他の方法は非常に融通が利かない。非常に正確にやらないといけない。アシュタンガヨーガや、ギャーナヨーガをやるには全てを捨ててやらなければならない。ですから、バクティヨーガというのはみんなが出来るものです。全部捨てたくないという人でも、完成を達成する事が出来ます。あとは、それぞれがどのくらいの時間を、バクティにあてる事が出来るかという事です。
それぞれです。どんな事でも、私達が行った事は、私達の霊的成長を約束してくれます。
時間をもっと使えば、もっと早く成長できます。もし今生でやった分で完成を得られなかったとしても次の生で継続して出来ます。最終的には完璧な幸せ喜びに到達得る事が出来ます。
Q  バクティヨーガにどのように時間をさくよりも、どういう姿勢でバクティをするか?
バクティの質というものが変わってくる事に関して。お金のためとか、自分を喜ばせたいとかだんだん動機が変わってくるんですが、質のほうが大切ではないかと思います。
A 最も重要なのが、ディボーション=愛情です。
真摯に真剣に誠実に神に身を委ねるということ。お任せする、従うという事。
5時間もだらだらだらだらやるんだったら、1時間誠実にやったほうがいい。ですから主要な点というのは神に対する愛情を育んでいくという事が一番大切になってきます。
Q 今日のお話の「人はなぜ愛するのか?」という答えは、神を知らない人でもアートマーの部分で神を愛する事を知っているので、この世界で愛を探していると理解してよろしいのでしょうか?
A 究極的には精神界に於ける完璧な神との愛の関係というものがあるんですけれども、それが歪曲した形でこの物質世界に表れている。でも、ある人たちは動物と同じようにそれらは単なる肉体次元のニーズのものとしての関わりを持とうとする。そういうニーズをおとして、肉体的なニーズもおとして、メンタルなニーズもおとして、魂のレベルでのニーズに立脚する事が出来る。かといって、神との愛の関係を築く、そこに存在しているかといったらそうとも限らない。魂には喜びを表現する能力、幸せになる能力を持っている。でも誰もが、この世界では幸せというと自分中心になる。でもそれは自分の事を体とマインドであると言う思い込みから来ている。ですから食べ物でも何でも、自分の喜びのためのものである。また、バクティに於いても魂も幸せを求めている。唯一、自分のため
のものでないもの。そう聞くと矛盾に聞こえる。幸せになりたい、でも、自分がそれを得ようとしてはならない。唯一、愛を表現する事によってそれを得られる。唯一の望みというのは、見返りを期待しない無償の愛です。神に何かを捧げる、でも決して自分のためにその見返りを期待しない。じゃあ、なんで捧げるのか?というのは、愛している、愛ゆえに捧げる、ただそれだけです。それが、できたらそれが結果である。それで私達は幸せになる。ですから、自分が幸せになりたいというのを諦めて、主だけに主の喜びのためだけに愛を捧げる。そして、幸せになれる。自分の幸せのためになんですが、唯一神の幸せのためだけにという矛盾があるわけです。ですから私達はバクティヨガを訓練するわけです。見返りを求めない、なんか神にして神から何かを得ようとしない訓練です。バクティの訓練とは純粋な愛の表現です。その対象が完璧な人物だという事です。ですから、パーフェクトに完璧に応えてくれます。ですから私達は完璧な幸せを得る事が出来ます。
Q 典型的な日本人なので、神をあまり信じてない。それで神社とかお寺によく行きます。そこでお願いします、見返りを。その神様を愛するという事は、普段家族や友人に好意を持ちますが、神に愛情を持つ事はそんなことしていいの、と思ってしまう。神が愛情の対象として分からないのですがそのへんを、どうやったら分かるのでしょうか?
A どっちがベターだと思いますか?非常に親しい人間関係と、神に対する愛情と。
神に対して畏敬の念と、どっちがいいですか?
Q 人間です
A というのは人間を崇めているのかもしれません。一般的に神と言うと畏敬の念で崇拝するというのが普通ですキリスト教でも、イスラム教でもユダヤ教でも、ある種の仏教でも同じアイデアです。でも、ただ畏れから神を崇拝するというのはポジティブな面ではありません。でも何かその望みを満たしてくれるというのは自発的でないです。だから恐れを持ってやっている、何かに強いられているという事です。ですからそのアイデアでは、神との関係をとる、関係を築くというのは難しくなってきます。バクティの方法の中には2種類の方法がある。一つは非常に親密な親子とか友人関係です。もう一方はもっと敬意のある、主従関係、縦の関係です。それでも少しの愛情というものがあります。例えるならば、王とその召使いです。そういう関係でもある程度個人的な関係があります。ラーマチャンドラ知っている人いますか?彼は王様でした。みんなが召使いという主従関係でした。ラーマが至高主であると理解していました。と同時に強い愛情を感じていていました。ハヌマンはその愛情からラーマに偉大な奉仕をしました。神とそういう関係をとりたかったら、そういう関係を築く事も出来ます。
Q 神と自分自身の関係で一番ベストな関係とは何ですか?
A   あなたが自分で決められます。恋人にも、親にも、友人にもなれます。もち論、一番親密な関係がゴピーと呼ばれる恋人関係です。それがさっき紹介した、主チャイタンニャが指摘した、最も最高の神との関係だと指摘しました。
Q 戦争の原因が4つありましたが、私は一番大きな原因は宗教だと思います。自分が一番だと言って争う。私達日本人でもある特定の宗教を信じている人は村八分にされたり、変な目で見られる事が多い。そういう傾向の中で、私達はお互いをどうやって理解していけばいいのかが、疑問です。
A  それが確かに問題です、というのは宗教を人が個人的な理由で使っているという事です。それがそのさっき言った、肉体と心のニーズ=宗教というのは自分が信じるのものを、肉体のレベルとマインドのレベルで自己中心に満たそうとする行為であるから、魂を完全に無視している。魂を無視している。私たちはどんなものでも、間違って使う事ができます。つまり、私たちは、科学を間違った方法で使う事ができます。私たちは、サイエンスを使って人々を助ける事もできますし、私たちはサイエンスを使って、人類をはめつに追いやる事もできます。なぜ、政府は80-90%の財政を科学に投資しているかと言うと、科学を防衛のために使うからです。それは、核兵器だけではありません。バクテリアなどを使っての、生物化学兵器などもそうです。人を病気にさせて殺すよいうもので、
科学というものは最悪の使い方をする事ができます。科学者が宗教が悪いと指摘しますが、よく見ると科学者のほうが最悪です。彼らは、人類を破壊するだけではなくて、全てを破壊します。核兵器を使えば、全てを汚染してみんなを殺していまいます。
Q 私たちは、一体どうしたら良いのでしょうか?
A 個人的なレベルでは、真理を見つけるべきです。
自分が誰なのかという事を、見つけるということ。どんな世界変革も自分から始まります。政府が、みんなにこれをしろと、強いる事はできません。一人一人のハートが、心が変われば、世界が変わっていきます。
ニューエイジの人たちはみんな無償の愛を口にします。でも、彼らが言っている無償の愛を実践的な方法で達成するのがこのバクティヨガです。
他にありますか?
Q バクティヨガをはじめる、スタートはどんな動機でも良いのですか?
A  最初はどんな動機から入っても良いです。そういうのをミックスバクティといいます。でも、最終的には純粋なバクティに至るべきです。というのは、クリシュナに何かを捧げるかもしれません。でもそれは、この世界が苦しいから、解放を求めて神に何かを捧げることかもしれません。それは自分のためです。私たちはそれは望みません。私たちは、ただ神に喜んでもらうためだけに愛を捧げます。これが純粋なバクティです。
もっと、いい結果が得られます。
Q  捧げる事、愛情を神に捧げるというこの二つが・・神と自分自身の関係を築く方法がバクティヨガですか?
A それが原則です。そのために私たちはいろんな事ができます。神をたたえたり、食事を捧げたり、または瞑想したり。いろんな方法で愛を捧げます。

Q  バクティというのは、自分の感覚を使ってやればなんでもよいのですか?
A  いや、経典にないものをでっち上げてはいけません。たとえば、肉や酒を捧げるのは神は望んでいません。
より高いゴールというのは非常に明快でわかりやすいのが、特徴です。そして、その方法もすごくわかりやすい、シンプル、簡単。ゴールは”愛”で、方法も”愛”。簡単です。

Q 信仰心ゼロの家庭で育ちました、目に見えない、感じない、イメージすらできない神をどうやって愛すれば良いのか皆目見当がつかない。どうしたら良いのか?
A  そのために経典の教えを受け入れる必要があります。自分で想像して捏造して神に至る事はできません。そうすると、真理に至る事はできません。ですから私たちの五感を超えたものなので、私たちの五感が障害になります。ですから、この五感の働きをストップさせるというのが、ひとつの方法になります。それがヨガです。それをストップすれば、アートマーの働きが表れて、神を知覚する事ができます。でも、それは非常に難しい方法です。簡単な方法は、五感や心を止める事ではなくて、それを使って、アートマーの愛を育むというものです。そういう活動をする、それを神に捧げる。そういう事をしていく事によってこの肉体レベルの物質的五感というものがストップして魂が現れてきます。そして神との関係を築いていくことができるようになります。言い換えれば、五感がストップして、精神化する事ができます。スピリチュアルな体。バクティヨガの主要な方法が、このマントラを唱える事です。そうすると、五感を通じて、聴覚をつうじてマントラに入って来てアートマーに触れます。そうするとアートマーが目覚めて神を知覚する事ができます。
じゃあ、それをやりましょう。

(といって、キルタンがはじまる。)

以上です。

長くなりましたが、完全版でお届けできました。

文責 ヤムナ







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# by govindasyamuna | 2014-01-21 22:08 | バガヴァッド・ギーター他・法話

「人はなぜ愛するのか?」バヌスワミ 前編

みなさん

ずいぶんお待たせいたしました。やっと昨年11月23日にBYCなかのにて、開催された
バヌスワミのレクチャーを全て文字おこしする事ができました。

文字数が多すぎたので前・後半に分けました。後半は質問コーナーです。


是非お読みになって下さい。
以下です。
http://pds.exblog.jp/pds/1/201401/21/43/a0170643_18131375.jpg



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2013/11/23  バヌスワミ 「人はなぜ愛するのか?」

人間の目標と満足

人間の生きる目的について話したいと思います。それぞれみなさん自分なりの人生の目標というものがあるかと思います。でも、よくよく見てみるとみんな似たようなものを追い求めて生きているんじゃないでしょうか?その何かを目標にすることによって、みんな幸せを求めています。

世界中のあらゆる人たちをインタビューして、どのような望みを持っているのかを研究した結果があります。そうすると15項目くらいになります。まず、肉体的に生きていくために必要なこと。みんな何かを知りたがるという傾向がある。動物でさえある程度、好奇心というものを持っている。でも、人間のほうが探究心とか好奇心とかは強い。なぜかというと、より知性が発達しているからです。でも現代の教育では、そこに問題があります。
問題というのは教育によって、私たちの興味がどんなものに向かっていくのかを方向付けられてしまうからです。ですから、教育によって、我々が自然に自発的に知りたいという探究心を阻害してしまうことになるからです。ですから、いつか子供というのは現代の教育を嫌がるようになるわけです。だから、学校に行かなくなる。実際、知りたいというのは人間にとっての自然な性です。好奇心を刺激するような教育を施せば、子供は簡単に学んでいくことが出来ます。生きていく上での必要なものに関連したことを満たしていく好奇心というものが自然に湧いてきます。
また人間は体を動かしたい。ですからエクソサイズや運動を行うわけです。それは動物にも見られる傾向です。でも、こういう傾向も現代のライフスタイルによってで抑圧されています。もう20年間学校で椅子に座りっぱなしである。最初に20年間学校の椅子に座る。卒業すると、残りの30年間はオフィスの事務所の椅子に座り続ける、と。それらの抑圧というのも他の人間の身体的欲求の抑圧になります。またそうすると病気にもなります。
みんなが食べます。植物も、動物も、人間ももちろん食べます。生き続けるためには
体に栄養が必要ですから、食べ続けます。これは動物にも見られます。でも、人間は食べる傾向を他の角度からも求めます。人間は生存のためにのみ搾取するのではなく、喜びのために食べる。それは、舌=味を楽しむですね。舌を満たしたい,もう一つはお腹を満たしたい、その二つです。ですから、世界中を見渡してみれば凄いバラエティにあふれた食べ物があるわけです。舌にはおいしい食べ物でも、その結果として健康をがいすることもある。洗練された文化の人々は、食べ過ぎるという傾向がある、そして食べ過ぎた結果もっと病気になります。
もう一つのニーズは歌舞伎町です。そのセックスも喜びであるわけですが、そこでもまた人間は人口密度をコントロールしなければならない。食べ物と同じように、性生活においても他のことをコントロールしなければ行けないことがあります。人間が生きていく上で生存競争による反動というものがあります。動物も自己防衛をする。動物も生存のために争いあって自己防衛をするわけですが、そのための行為をしたあとというのは全て過去を忘れます。でも人間はひとたび争いになると報復のためにされたことを忘れずに一生引きずる。もしかしたら、何度も生まれ変わっても許せないこともあるし、家族間同士、何世代にも渡って鍔競合いを続けるというケースもあるでしょう。国家レベルでも何百年も対立を続けるということもある。もともとの生存していくために必要なものを満たそうという欲求のために、いろんな危険を作り出している。
これもまた、消極的な面ですが人間にも痛みを避けるという面があります。これもまた、生存に関わるものです。その痛みというのは、体を傷つけるということに関連していて
そしてその体が傷つくということで、生存が脅かされるということになるわけです。
誰もが、人に応じてある程度の人生において組織に帰属するという欲求があります。私たちのゴールを達成するために組織化するということも必要となってきます。
また、人間たちはそれを満たすために極端な方向に走ってしまう。組織なんですが、それを誰か一人のものとして動かされてしまう。そういう状況にいると組織の中にいる人たちは非常に居心地が悪い。痛みすら感じてしまう。
いま,帰属の欲求と反対の欲求がある。独立・自立心の欲求です。誰かがあなたを取り込もうとしたら、あなたが独立的に何か自分で好きなことをしたい時に、他の人があなたを取り込もうとしたらそれを拒否するわけです。これは、個人レベル、社会レベル、国家レベルと拡張していって同じようになるわけです。
次は、積極的なサイドに見られるものですが、つながりを持とうとする。これももちろん、起源は生存の欲求に関わるものです。これはもう古代から見られたものです。なんらかのグループを作って、村をつくる。そのグループを構成する上では心理的舐な面というのを大切にする必要があります。と同時に個々の個別性というものを尊重する必要があります。 そして、もう一つの社会性というものに家族があります。動物たちもそれぞれ家族があります。動物は何ヶ月単位で親のことを忘れて独立し手バラバラになります。しかし、人間はほぼ一生家族と何らかの関わりを持っています。それは、非常に強い欲求であります。子供が育っていく環境で、家族がうまくいっていない環境で育つと子供の成長に非常に問題を起こすわけです。そしてその問題を抱えたこどもが大人になって結婚すると、そこで生まれた子供というのはまた問題を抱えて大人になってしまう、そしてそれが続いていく。ですから、家族の中で個々の家族の一員たちがみんな幸せに家庭生活を送るというのが非常に重要になってくるのです。それによって個々の家族のメンバーが個人レベルでも幸せになって、そして社会全体が幸せになるわけです。でも、しかしこの家族への愛着が強すぎるとそれも問題になります。すごくいい家族で、家族の絆がものすごく強いという家族、そういう家族が死ぬとそれが痛みとなって、残りの人生非常に苦しむことになります。
次のまた15のうちの別のゴール、それは社会貢献です。これもまた抑圧されている状況ではないでしょうか?というのは、自分の生活でいっぱいいっぱいではないでしょうか?時間がない、自分の生活や自分の家族のために使う時間だけで、もう奉仕をする時間がない。昔の生活でしたら、誰もが社会に貢献することを強いられていた。あるコミュニティでは、誰かが家を建てる時にはみんなが協力しなければいけなかった。
次は影響力です。誰もがそれなりに影響力を与えたいと思っている。その、みんながその影響力を発揮したいと思っている、その結果そこに軋轢が起こっている。あるグループから村八分にされるのを非常に恐れる。これはものすごく強い。これは、さっきの個別性、独立性を満たすというものでは逆になります。みんなが、影響力を持ちたい。またみんなが尊敬されたい。日本の社会というのはみんな他の人に敬意を払うのが強い社会です。しかし、ある社会ではあまり他の人々に敬意を表さない。ですからそのような社会は不安定な社会といえる。
道徳性、誰もが正しいことをしようと求めている。その正しさというものを求めている。
しかしながら正しさというのはグループによって違う。ですから、そのグループグループで正しさの価値観が違うので、道徳性というのも二元的なものとなってくる。ですから、本当の道徳性というのは、普遍的な原理原則に基づいている。

で、これが、誰もが持っているある程度必要な15の傾向であるわけです。またこれがあるためにいろんな人と人の間に軋轢があったりするわけです。ですから、その社会人として生きていく上では、その辺をうまく妥協したりしなければならないわけです。

15をもう少し簡潔にすると、真ん中に自分がいて、体の維持のために6つある。お金、労働、休養、健康、所有、教育です。
これらのものによって、この物質世界を維持しています。

こう言う社会的な肉体的な次元のものと、もう一つ違ったこれらのレベルよりもうすこし高い段階のメンタル(心)なレベルのニーズというものがあります。これは、関係に関わるものです。関係を持とうとするのは、もちろん肉体次元の生存の欲求のためでもあるのですが、それ以上の心理的な面の欲求も満たします。まずひとつの関係は、社会との関係。そして友人、親子関係、夫婦関係など、このようにして、私たちは様々な人間関係を必要としています。誰もが幸せになるためにこの肉体を使って、心の必要を満たそうとしています。そういう必要があるわけでが、ここで一つ問題があるわけです。この肉体というのは変化してやがて滅びてしまう。また、そのある立場・地位を手に入れる、それもなくなってしまうかもしれませんし、または家を手に入れる。それも壊れて無くなってしまう。ですから、肉体に関わるものを維持するには継続的な努力が必要になってくる。これを、その肉体の必要を継続的に維持するにはまず20年間学校に通い、そのあと30年間毎日8時間働かなくてはならない。私たちは学校は嫌いだし、会社も嫌いなわけです。非常にストレスのたまる人間たちなわけです。これらの問題というのはそれぞれが同じようなニーズを満たすために日夜争いあっています。一生懸命働いて何かを簡単にしようとしている。お気軽な人生を生きるために必死に働いている。
 それが肉体的な維持に関わるものです。次はメンタル、心の問題に関わるものです。心はいつも不安定です。いつもアップダウン。あっちいったり、こっちいったりしている。そして、みんなが同じような心のニーズを満たそうとしている。心的な欲求、自分の必要を満たすために関係を必要としているわけです。みんながみんな、その関係を自分の思い通りに関係を満たそうとしてみんなが競い合っている。それは怒りに導かれる。その関係によって、私たちは、怒りそして恐れというものに至ります。あるいは、その人間関係によって嘆きます。または、その関係が満たされなかったら攻撃する。
 そのようにして、肉体的なニーズも心的なニーズも満たすのに非常に大変だという事が分かります。
そうして、何のために生きたらいいのか、どうして生きたらいいのかに困惑します。
どういうわけか、私たちの文明が進歩すればするほどわたしたちの嘆きとか苦しみは増えていっているわけです。ここで最初の問いがあるわけです。「私たちは幸せになりたい。なのに苦しみが増えていっているのはなぜなのか?」私達は個人的なレベルでも、国家的なレベルでも、国際的なレベルでも、水とか石油とかで競い合って、国家的レベルで対立しているわけです。生存競争によって国際レベルで経済的な崩壊に至っている。また食料危機もそうです。ある人は日々の糧もない、しかし一方である人は食べ物を蓄え過ぎている。環境問題もあります。空気、水など様々なものが環境汚染によって、私達の生活が聞きを迎えている。社会的危機、政治的危機もある。ある国が戦争をおこしてそれによって他の国が対抗している。なんでそういう事になるのか?みんなが必要を満たされていないという事、肉体的なレベルの必要さえ満たされていない。そして、戦争に至るわけです。このような、食料、経済、環境、政治的危機によって戦争になるわけです。これらの問題に全部終止符を打たなければなりません。なぜなら、人間は幸せを求めているからです。ではどうやって出来るでしょうか?
これらの、今我々が従って生きている公式に問題があります。欠落しているものがあります。何か?それは何が欠けているのか?
それは、私達はいつも体と心に関するものだけに夢中になっているという事です。

”魂”に意識を向けるという事が欠けているのです。

私達は体と心に関するものだけで、幸せになろうとしているのです。目に見える肉体と、目に見えない心を満たそうとしているにすぎない。私達にとって、最も重要な部分を忘れている、魂についてです。その本来の自分ですらないものだけに、意識がすべて注がれてしまっているから。魂は非常にポジティブな質を身につけている。魂というのは本来永遠なる知識を身につけている。
 最初に話しましたが、みんな何かを知りたがっている。何を知りたがっているのかと言うと、自分のこと、つまり魂の事を知りたがっている。何かを知ろう、知識を得ようとしているが本当はもともと私達は知識を持っている。魂というのは、永遠に躍動的・活動的です。私達は、肉体や心を使って家族関係とか、社会福祉とか、健康を維持したりして、いろんな事をしているわけですが、本当にそのことを行っているのは実際は魂なんです。
そして、魂というのは永遠なる喜びを、兼ね備えている。魂がその、本当の完成を遂げる事が出来るわけです。体や心を満たしても、私達の目標を遂げる事は出来ません。魂をぬいて肉体レベルで幸せになろうとするとうまくいかないわけですが、自分もみんなも同じ魂として関係をとろうとすれば、友人であろうが、夫婦であろうが、親子であろうが、どんな関係でもうまくいきます。魂というのは個別の存在ではあるんですが自己中心的ではありません。魂には、肉体的な必要もも心理的な必要もありません。それでも、一つ問題があります。というのは魂レベルでいろんな人間関係を満たそうとしても、肉体というのはやがて終わってしまうわけです。ですから、関係というのが終わってしまうわけです。一時的な関係であるわけです。
魂が持つ永遠の関係というのがあります。魂にとって自然な関係というのは、まず至高なる魂との関係というのがあります。これは、永遠な関係です。肉体的なものではありません。これこそが問題の解決法であるわけです。私達は至高なる魂と永遠なる関係を築く事が出来ます。
その対象というのは、完璧な美しさ、完璧な質を備えています。そして、あなたがした事に完璧に応えてくれます。完璧に振る舞ってくれる。その品減が必要としている関係を、神が全てを満たしてくれる。至高主でありながら友人にもなってくれる。至高主でありながら子供のようにも振る舞ってくれる。あなたは神と恋人になる事も出来ます。このようにして、また神を主として崇める事も出来る。
神と縦の関係を持って、畏敬の念で崇める事も出来るし、また、そういう縦の関係ではなくて対等な関係で、友人関係を築く事も出来る。そして、私達が神の父親・母親として親子関係も築くことができる。神が子供として私たちを親として受け入れる。
そして神は、恋人として友人関係も受け入れてくれる。
これらの5つの関係を、築くためにはそれなりのメソッドが必要です。
神とそれらの関係を築くための方法をバクティヨーガといいます。バクティという意味は愛と献身という意味です。そのバクティによって、魂と至高者の至高なる関係を築く事が出来ます。これを、築くために様々な感覚を使う事が出来ます。
まず、耳を使う事が出来る。神について、聞く事が出来ます。また、神の姿を見る事が出来ます。神の姿を讃える事で、声を使う事が出来ます。主に捧げたお香の香をかぐ事が出来ます。そして、神に捧げた食べ物のお下がり(プラサーダムといいます)をいただいて味わうことが出来ます。また、神の喜びのために体を使っておどる事が出来ます。それらのこういう事を行う事によって、神との愛の関係を築いていく事が出来ます。
また、神を瞑想する事によって、マインドを使う事が出来ます。それら方法の、最も主要な方法が、神の御名を唱えるキルタンという方法です。主チャイタンニャが500年前に降誕されました。このサンキルタンというみんなで集まって神の名前を唱えて踊る、唄うというそういう方法をこの地上にもたらしました。そういう方法によって、神との関係を築いていく事が出来る。そのようにして、神との関係に於いて神との永遠なる関係を築く事にとって、私達が今必要としているすべての必要を満たす事が出来る。また、そのバクティを実践する事によって、肉体的なニーズ、心理的なニーズ、一生生きていく上での必要な全てのニーズが満たされます。







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# by govindasyamuna | 2014-01-21 18:20 | バガヴァッド・ギーター他・法話
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ヨガってアサナだけじゃない、食事、瞑想、哲学、音楽を通してバクティヨガを日々の生活に取り入れましょう。生きる力を感じて内面はエキサイトして、外見はクールに生きるお手伝をします。


by govindasyamuna
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