「人はなぜ愛するのか?」バヌスワミ 前編

みなさん

ずいぶんお待たせいたしました。やっと昨年11月23日にBYCなかのにて、開催された
バヌスワミのレクチャーを全て文字おこしする事ができました。

文字数が多すぎたので前・後半に分けました。後半は質問コーナーです。


是非お読みになって下さい。
以下です。
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2013/11/23  バヌスワミ 「人はなぜ愛するのか?」

人間の目標と満足

人間の生きる目的について話したいと思います。それぞれみなさん自分なりの人生の目標というものがあるかと思います。でも、よくよく見てみるとみんな似たようなものを追い求めて生きているんじゃないでしょうか?その何かを目標にすることによって、みんな幸せを求めています。

世界中のあらゆる人たちをインタビューして、どのような望みを持っているのかを研究した結果があります。そうすると15項目くらいになります。まず、肉体的に生きていくために必要なこと。みんな何かを知りたがるという傾向がある。動物でさえある程度、好奇心というものを持っている。でも、人間のほうが探究心とか好奇心とかは強い。なぜかというと、より知性が発達しているからです。でも現代の教育では、そこに問題があります。
問題というのは教育によって、私たちの興味がどんなものに向かっていくのかを方向付けられてしまうからです。ですから、教育によって、我々が自然に自発的に知りたいという探究心を阻害してしまうことになるからです。ですから、いつか子供というのは現代の教育を嫌がるようになるわけです。だから、学校に行かなくなる。実際、知りたいというのは人間にとっての自然な性です。好奇心を刺激するような教育を施せば、子供は簡単に学んでいくことが出来ます。生きていく上での必要なものに関連したことを満たしていく好奇心というものが自然に湧いてきます。
また人間は体を動かしたい。ですからエクソサイズや運動を行うわけです。それは動物にも見られる傾向です。でも、こういう傾向も現代のライフスタイルによってで抑圧されています。もう20年間学校で椅子に座りっぱなしである。最初に20年間学校の椅子に座る。卒業すると、残りの30年間はオフィスの事務所の椅子に座り続ける、と。それらの抑圧というのも他の人間の身体的欲求の抑圧になります。またそうすると病気にもなります。
みんなが食べます。植物も、動物も、人間ももちろん食べます。生き続けるためには
体に栄養が必要ですから、食べ続けます。これは動物にも見られます。でも、人間は食べる傾向を他の角度からも求めます。人間は生存のためにのみ搾取するのではなく、喜びのために食べる。それは、舌=味を楽しむですね。舌を満たしたい,もう一つはお腹を満たしたい、その二つです。ですから、世界中を見渡してみれば凄いバラエティにあふれた食べ物があるわけです。舌にはおいしい食べ物でも、その結果として健康をがいすることもある。洗練された文化の人々は、食べ過ぎるという傾向がある、そして食べ過ぎた結果もっと病気になります。
もう一つのニーズは歌舞伎町です。そのセックスも喜びであるわけですが、そこでもまた人間は人口密度をコントロールしなければならない。食べ物と同じように、性生活においても他のことをコントロールしなければ行けないことがあります。人間が生きていく上で生存競争による反動というものがあります。動物も自己防衛をする。動物も生存のために争いあって自己防衛をするわけですが、そのための行為をしたあとというのは全て過去を忘れます。でも人間はひとたび争いになると報復のためにされたことを忘れずに一生引きずる。もしかしたら、何度も生まれ変わっても許せないこともあるし、家族間同士、何世代にも渡って鍔競合いを続けるというケースもあるでしょう。国家レベルでも何百年も対立を続けるということもある。もともとの生存していくために必要なものを満たそうという欲求のために、いろんな危険を作り出している。
これもまた、消極的な面ですが人間にも痛みを避けるという面があります。これもまた、生存に関わるものです。その痛みというのは、体を傷つけるということに関連していて
そしてその体が傷つくということで、生存が脅かされるということになるわけです。
誰もが、人に応じてある程度の人生において組織に帰属するという欲求があります。私たちのゴールを達成するために組織化するということも必要となってきます。
また、人間たちはそれを満たすために極端な方向に走ってしまう。組織なんですが、それを誰か一人のものとして動かされてしまう。そういう状況にいると組織の中にいる人たちは非常に居心地が悪い。痛みすら感じてしまう。
いま,帰属の欲求と反対の欲求がある。独立・自立心の欲求です。誰かがあなたを取り込もうとしたら、あなたが独立的に何か自分で好きなことをしたい時に、他の人があなたを取り込もうとしたらそれを拒否するわけです。これは、個人レベル、社会レベル、国家レベルと拡張していって同じようになるわけです。
次は、積極的なサイドに見られるものですが、つながりを持とうとする。これももちろん、起源は生存の欲求に関わるものです。これはもう古代から見られたものです。なんらかのグループを作って、村をつくる。そのグループを構成する上では心理的舐な面というのを大切にする必要があります。と同時に個々の個別性というものを尊重する必要があります。 そして、もう一つの社会性というものに家族があります。動物たちもそれぞれ家族があります。動物は何ヶ月単位で親のことを忘れて独立し手バラバラになります。しかし、人間はほぼ一生家族と何らかの関わりを持っています。それは、非常に強い欲求であります。子供が育っていく環境で、家族がうまくいっていない環境で育つと子供の成長に非常に問題を起こすわけです。そしてその問題を抱えたこどもが大人になって結婚すると、そこで生まれた子供というのはまた問題を抱えて大人になってしまう、そしてそれが続いていく。ですから、家族の中で個々の家族の一員たちがみんな幸せに家庭生活を送るというのが非常に重要になってくるのです。それによって個々の家族のメンバーが個人レベルでも幸せになって、そして社会全体が幸せになるわけです。でも、しかしこの家族への愛着が強すぎるとそれも問題になります。すごくいい家族で、家族の絆がものすごく強いという家族、そういう家族が死ぬとそれが痛みとなって、残りの人生非常に苦しむことになります。
次のまた15のうちの別のゴール、それは社会貢献です。これもまた抑圧されている状況ではないでしょうか?というのは、自分の生活でいっぱいいっぱいではないでしょうか?時間がない、自分の生活や自分の家族のために使う時間だけで、もう奉仕をする時間がない。昔の生活でしたら、誰もが社会に貢献することを強いられていた。あるコミュニティでは、誰かが家を建てる時にはみんなが協力しなければいけなかった。
次は影響力です。誰もがそれなりに影響力を与えたいと思っている。その、みんながその影響力を発揮したいと思っている、その結果そこに軋轢が起こっている。あるグループから村八分にされるのを非常に恐れる。これはものすごく強い。これは、さっきの個別性、独立性を満たすというものでは逆になります。みんなが、影響力を持ちたい。またみんなが尊敬されたい。日本の社会というのはみんな他の人に敬意を払うのが強い社会です。しかし、ある社会ではあまり他の人々に敬意を表さない。ですからそのような社会は不安定な社会といえる。
道徳性、誰もが正しいことをしようと求めている。その正しさというものを求めている。
しかしながら正しさというのはグループによって違う。ですから、そのグループグループで正しさの価値観が違うので、道徳性というのも二元的なものとなってくる。ですから、本当の道徳性というのは、普遍的な原理原則に基づいている。

で、これが、誰もが持っているある程度必要な15の傾向であるわけです。またこれがあるためにいろんな人と人の間に軋轢があったりするわけです。ですから、その社会人として生きていく上では、その辺をうまく妥協したりしなければならないわけです。

15をもう少し簡潔にすると、真ん中に自分がいて、体の維持のために6つある。お金、労働、休養、健康、所有、教育です。
これらのものによって、この物質世界を維持しています。

こう言う社会的な肉体的な次元のものと、もう一つ違ったこれらのレベルよりもうすこし高い段階のメンタル(心)なレベルのニーズというものがあります。これは、関係に関わるものです。関係を持とうとするのは、もちろん肉体次元の生存の欲求のためでもあるのですが、それ以上の心理的な面の欲求も満たします。まずひとつの関係は、社会との関係。そして友人、親子関係、夫婦関係など、このようにして、私たちは様々な人間関係を必要としています。誰もが幸せになるためにこの肉体を使って、心の必要を満たそうとしています。そういう必要があるわけでが、ここで一つ問題があるわけです。この肉体というのは変化してやがて滅びてしまう。また、そのある立場・地位を手に入れる、それもなくなってしまうかもしれませんし、または家を手に入れる。それも壊れて無くなってしまう。ですから、肉体に関わるものを維持するには継続的な努力が必要になってくる。これを、その肉体の必要を継続的に維持するにはまず20年間学校に通い、そのあと30年間毎日8時間働かなくてはならない。私たちは学校は嫌いだし、会社も嫌いなわけです。非常にストレスのたまる人間たちなわけです。これらの問題というのはそれぞれが同じようなニーズを満たすために日夜争いあっています。一生懸命働いて何かを簡単にしようとしている。お気軽な人生を生きるために必死に働いている。
 それが肉体的な維持に関わるものです。次はメンタル、心の問題に関わるものです。心はいつも不安定です。いつもアップダウン。あっちいったり、こっちいったりしている。そして、みんなが同じような心のニーズを満たそうとしている。心的な欲求、自分の必要を満たすために関係を必要としているわけです。みんながみんな、その関係を自分の思い通りに関係を満たそうとしてみんなが競い合っている。それは怒りに導かれる。その関係によって、私たちは、怒りそして恐れというものに至ります。あるいは、その人間関係によって嘆きます。または、その関係が満たされなかったら攻撃する。
 そのようにして、肉体的なニーズも心的なニーズも満たすのに非常に大変だという事が分かります。
そうして、何のために生きたらいいのか、どうして生きたらいいのかに困惑します。
どういうわけか、私たちの文明が進歩すればするほどわたしたちの嘆きとか苦しみは増えていっているわけです。ここで最初の問いがあるわけです。「私たちは幸せになりたい。なのに苦しみが増えていっているのはなぜなのか?」私達は個人的なレベルでも、国家的なレベルでも、国際的なレベルでも、水とか石油とかで競い合って、国家的レベルで対立しているわけです。生存競争によって国際レベルで経済的な崩壊に至っている。また食料危機もそうです。ある人は日々の糧もない、しかし一方である人は食べ物を蓄え過ぎている。環境問題もあります。空気、水など様々なものが環境汚染によって、私達の生活が聞きを迎えている。社会的危機、政治的危機もある。ある国が戦争をおこしてそれによって他の国が対抗している。なんでそういう事になるのか?みんなが必要を満たされていないという事、肉体的なレベルの必要さえ満たされていない。そして、戦争に至るわけです。このような、食料、経済、環境、政治的危機によって戦争になるわけです。これらの問題に全部終止符を打たなければなりません。なぜなら、人間は幸せを求めているからです。ではどうやって出来るでしょうか?
これらの、今我々が従って生きている公式に問題があります。欠落しているものがあります。何か?それは何が欠けているのか?
それは、私達はいつも体と心に関するものだけに夢中になっているという事です。

”魂”に意識を向けるという事が欠けているのです。

私達は体と心に関するものだけで、幸せになろうとしているのです。目に見える肉体と、目に見えない心を満たそうとしているにすぎない。私達にとって、最も重要な部分を忘れている、魂についてです。その本来の自分ですらないものだけに、意識がすべて注がれてしまっているから。魂は非常にポジティブな質を身につけている。魂というのは本来永遠なる知識を身につけている。
 最初に話しましたが、みんな何かを知りたがっている。何を知りたがっているのかと言うと、自分のこと、つまり魂の事を知りたがっている。何かを知ろう、知識を得ようとしているが本当はもともと私達は知識を持っている。魂というのは、永遠に躍動的・活動的です。私達は、肉体や心を使って家族関係とか、社会福祉とか、健康を維持したりして、いろんな事をしているわけですが、本当にそのことを行っているのは実際は魂なんです。
そして、魂というのは永遠なる喜びを、兼ね備えている。魂がその、本当の完成を遂げる事が出来るわけです。体や心を満たしても、私達の目標を遂げる事は出来ません。魂をぬいて肉体レベルで幸せになろうとするとうまくいかないわけですが、自分もみんなも同じ魂として関係をとろうとすれば、友人であろうが、夫婦であろうが、親子であろうが、どんな関係でもうまくいきます。魂というのは個別の存在ではあるんですが自己中心的ではありません。魂には、肉体的な必要もも心理的な必要もありません。それでも、一つ問題があります。というのは魂レベルでいろんな人間関係を満たそうとしても、肉体というのはやがて終わってしまうわけです。ですから、関係というのが終わってしまうわけです。一時的な関係であるわけです。
魂が持つ永遠の関係というのがあります。魂にとって自然な関係というのは、まず至高なる魂との関係というのがあります。これは、永遠な関係です。肉体的なものではありません。これこそが問題の解決法であるわけです。私達は至高なる魂と永遠なる関係を築く事が出来ます。
その対象というのは、完璧な美しさ、完璧な質を備えています。そして、あなたがした事に完璧に応えてくれます。完璧に振る舞ってくれる。その品減が必要としている関係を、神が全てを満たしてくれる。至高主でありながら友人にもなってくれる。至高主でありながら子供のようにも振る舞ってくれる。あなたは神と恋人になる事も出来ます。このようにして、また神を主として崇める事も出来る。
神と縦の関係を持って、畏敬の念で崇める事も出来るし、また、そういう縦の関係ではなくて対等な関係で、友人関係を築く事も出来る。そして、私達が神の父親・母親として親子関係も築くことができる。神が子供として私たちを親として受け入れる。
そして神は、恋人として友人関係も受け入れてくれる。
これらの5つの関係を、築くためにはそれなりのメソッドが必要です。
神とそれらの関係を築くための方法をバクティヨーガといいます。バクティという意味は愛と献身という意味です。そのバクティによって、魂と至高者の至高なる関係を築く事が出来ます。これを、築くために様々な感覚を使う事が出来ます。
まず、耳を使う事が出来る。神について、聞く事が出来ます。また、神の姿を見る事が出来ます。神の姿を讃える事で、声を使う事が出来ます。主に捧げたお香の香をかぐ事が出来ます。そして、神に捧げた食べ物のお下がり(プラサーダムといいます)をいただいて味わうことが出来ます。また、神の喜びのために体を使っておどる事が出来ます。それらのこういう事を行う事によって、神との愛の関係を築いていく事が出来ます。
また、神を瞑想する事によって、マインドを使う事が出来ます。それら方法の、最も主要な方法が、神の御名を唱えるキルタンという方法です。主チャイタンニャが500年前に降誕されました。このサンキルタンというみんなで集まって神の名前を唱えて踊る、唄うというそういう方法をこの地上にもたらしました。そういう方法によって、神との関係を築いていく事が出来る。そのようにして、神との関係に於いて神との永遠なる関係を築く事にとって、私達が今必要としているすべての必要を満たす事が出来る。また、そのバクティを実践する事によって、肉体的なニーズ、心理的なニーズ、一生生きていく上での必要な全てのニーズが満たされます。







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# by govindasyamuna | 2014-01-21 18:20 | バガヴァッド・ギーター他・法話

池袋でキルタンナイト


久しぶりのお知らせです。

1月25日(土曜日)は、
池袋ニルヴァーナヨガスタジオにてキルタンナイトです

場所:http://nirvana-yogastudio.com/map.html 地図です

時間:PM6:00〜   終了時間は未定です。終りなきキルタンやりましょう!

会費:ドネーション制


    ※ 予約はいりませんので、どんどんご参加下さい。



池袋のニルヴァーナヨガスタジオのマヒロさんたちと一緒にバジャンします。

イスコンニューガヤジャパンからはマドゥマンガラとヤムナ、

アリーナマタジ、そして次の日にはインドに帰ってしまうサプタリシが参加します。


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           ご予約、お問合せはヤムナまで

           govindas_murata@yahoo.co.jp



           たくさんの元気なご参加をお待ちしています。
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# by govindasyamuna | 2014-01-19 20:48 | 瞑想 イベントのお知らせ

第2弾 船堀VCC 〜本当の自分に会う〜ヨガ・シタール・瞑想の旅

みなさま    お元気ですか?サッチャ先生の瞑想ですよ。

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先週のキルタンナイト、バヌスワミの『人はなぜ愛するのか?』のクラスの内容。

もうすぐこのブログで全文字おこししてアップしますのでおたのしみに!!

しかもヤムナの解説付き。そんなもんいらんという声もチラホラ聞こえますが、
私にもしゃべらして〜。(バヌスワミの法話と自分の意見ははっきり書き分けるからね。)


今回は

12月8日 (日曜日)
午前10:30〜スタート



船堀VCC(ヴェーリックカルチャーセンター)にて 第2弾〜本当の自分に出会う〜

豪華キャストを向かえ、贅沢なメニュー、3本立てでお届けします。

まだ余裕がありますので、お早めにご予約下さい。


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                前回のヨガの模様

まみ先生は
巷にいろんな種類のヨガ、いろんなヨガの先生がいらっしゃるなか、バクティヨガも、瞑想も学んでいらっしゃる方で日本では、希有な存在だと思われます。

(しかも、クールで知的、ルックスキュートでマネキン人形にも見間違えるほどの臨在感ですよ。・・・惚れてるなあたし〜)


シタールの加藤貞寿氏も、いまや日本を代表するシタールプレーヤーとしてご活躍中です。演奏中は全く、右脳の世界に行かれているようで、是非その世界を体験して味わって頂きたいです。時々お笑い芸人に豹変するような、ユニークで気さくなお人柄です。演奏後、お気軽に話かけてみて下さい。

お二人とも、ヤムナとマドゥの古くからの大切な友人でもあります。

2011年の震災のおりには、イスコンのフードフォーライフのボランティア活動の一環として、お二人と東北の炊き出しに一緒に行きました。


そしていつもおなじみのサッチャ先生です。
カリフォルニアから、1年に2回私たちのため
来日して下さっています。

みのがせません。

今すぐ予約!!ですよ。

歩くα波とよばれています。
癒しの方です。

”今の瞬間だけが真実” この瞬間を選択していくことが、この上ない私たちに与えられた自由意志を使えるということで、それこそが”愛”であることを、どうかこの授業で実感して帰って下さいね!ね!ね〜!
過去の呪縛、自分の思い込みの世界(マインド=心)をこえて魂(アートマー=本当の自分)に出会えます。

 そして、その方法が

ヨガで心と体をほぐしたら、シタールの演奏でさらに深いリラックスへ。

ゆるんだ心と体での瞑想をして、本当の自分(=魂)に出会いましょう。

【タイムスケジュール】

10:30 ヨガ(60分)
11:30 シタール演奏(30分)
12:00 瞑想ワーク(90分)

【料金】

3500円
※早割3000円(11月30日23:59までのお申し込み)

※ヨガとシタール演奏のみ参加の場合2000円
※瞑想ワークのみ参加の場合2000円

【持ち物】

・ヨガに参加の方は動きやすい服装、ヨガマット。
・瞑想ワークに参加の方もゆったりと座りやすい服装がおすすめです。

【予約について】

govindas_murata@yahoo.co.jp  ℡  07065248097 ヤムナまで

・ヨガとシタールのみ、もしくは瞑想ワークのみ参加の場合はその旨を書き込んでください。
・キャンセルは12月7日(土)15時までにご連絡ください。

【その他】

・ヨガ、瞑想ともに空腹時に行うのが理想です。
お食事は軽めのものを2,3時間前までに済ませてください。


【場所】

船堀VCC(ヴェーリックカルチャーセンター)
東京都江戸川区船堀2-23-4
※船堀ラーダ—クリシュナ寺院 ゴーヴィンダズレストランの2階
都営地下鉄新宿線・船堀駅南口徒歩2分



【講師】
                               
◆ヨガ:松永真美 

                     
2006年頃より、マクロビオティック、ベジタリアン・

ビーガン料理、自然療法、アロマテラピー、アーユル

ヴェーダなどホリスティックに心身を調えるメソッド

を独学で学ぶ。2007年より、サンフランシスコ在住の

サッチャデーヴァ・ダース師のもとで瞑想を学ぶ。

呼吸にフォーカスし、ゆったりとした流れのヨガで、

体だけでなく、心を調えるフリースタイルの

ハタヨガクラスを展開中。

ヨガニードラセラピスト、日本式アロマテラピー

「氣流れセラピー」セラピスト。全米ヨガア

ライアンス200時間ティーチャートレーニング修了

。レイキ2nd修了。


◆シタール演奏:加藤貞寿


4歳よりクラシックピアノを始め、次第に即興音楽に

興味を持ち始め、独学で様々な音楽を研究。 
1991年渡印。インド音楽界の至宝、パンディット・

ニラル・ナグ氏のシタールの音色と氏の人柄、

北インド音楽の即興性に魅せられ、ナグ氏に弟子入り。

長年にわたりシタールの厳しい訓練を受ける。

1998年ナグ氏より指導及び演奏活動の許可を得て帰国。

2003年、ゴクル・ナグ記念財団設立にともない、

同財団代表として日本におけるヴィシュヌプール・

ガラナ(インド音楽の流派)の普及と後継者育成を任される

。以降、東京にてシタール教室を主宰。後進の指導に励む傍ら、

インド及び日本各地にて演奏活動を行っている。


魂を揺さぶる美しい音色と、深い瞑想的な音楽が高く評価されている。



              

                                    


◆瞑想:サッチャデーヴァ・ダス


目覚めの手放し法、ヨガとマントラ瞑想を41年間  修練している。

“バガヴァッド・ギータ”やバーガウ゛ァタ・プラナ、ントラ瞑想を、カリフォルニア、ハワイ、

中国、日本で教えている。

・セドナ療法レベル2コーチ
セドナ療法を使い個人的にコーチングをし、持ちたくない
考えや感情を今の瞬間に手放すサポートを行う。


・救急救命士
1986年から2006年まで救急救命士および消防士として働き、
誕生、死、老い、病という様な人々の苦しみを目の当たりにし、瞑想がいかにこのような苦しみを乗り越える助けとなるかということを痛感。


2006年にサンフランシスコ消防署を退職したあと目覚めの手放し法のワークショップをしたり瞑想やヨガの哲学をアメリカ、日本、中国で教え人生の真理を人々が悟れるよう手助けをしている。







    

                                             ご予約はこちらまで

         govindas_murata@yahoo.co.jp

                                お待ちしております。ヤムナ








                 


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# by govindasyamuna | 2013-11-29 12:14 | 瞑想 イベントのお知らせ

中野キルタンナイト バススワミ来日講演「人はなぜ愛するのか?」

11月23日土曜日 中野キルタンナイトのお知らせ

今回のバヌスワミのお話は、究極のテーマ

「人ななぜ愛するのか?」


永遠の愛 一時的な愛

5つの関係における愛の形をヴェーダより学ぶ

と題してお話して頂きます。

今回も、切れよく、何ごともにも動じないバヌスワミの存在ぶりに出会えますよ。
いつも喜びに溢れ、楽しそうなマハラージの姿の”鍵”はここにあったのです!!



日時 11月23日 土曜日 夜5時〜
場所 BYCなかの 中野区中野5−6−6
会費 2000円
定員 20名

ご予約・お問合せ govindas_murata@yahoo.co.jp
07065248097 ヤムナまで




バヌ・スワミマハラージ

 カナダ生まれ。20代前半に、生涯のグルであるAcバクティウェ-ダンタ・スワミに出会い、ブラマチャーリーの誓いを立てて、40年間出家の僧として、独身謹厳生活を続けている。
南インド、チェンナイにラーダクリシュナ寺院において、そこで36年間、サンスクリットのヴェーダ教典の翻訳と研究に専念する傍ら、同地はもちろん、マレーシア、オーストラリア、ロシア、日本に於いて、バクティヨガを中心としたヴェーダ教典に基く叡智を、様々な形で現代人が理解しやすいよう講演セミナーを行い、説教活動と研究に生涯を捧げている。

主なセミナーの内容は以下の通り

「輪廻の法則とそこからの脱却」
「インド占星術とカルマについて」
「働く人のためのバガヴァッド、ギーター解説」
「ヨガマスターのための、ヨガ哲学」等、多岐にわたる。
他にも、サンスクリット語や、ベンガル語の教典の解説本を執筆している。




〜ご予約お待ちしております〜  ヤムナ


そういえば、

今回のスペシャルゲストは

なんと最近デビューした
能天気なウクレレおばさんで
都内に出没中の

ヤムナデーヴィーダーシーさんを、
お招きしています!!
お楽しみに。




ヤムナ??
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# by govindasyamuna | 2013-11-14 17:00

10月26日 中野キルタンナイト+さだまさし「防人の詩」のヤムナ流解説だよん〜

みなさま
台風が近づいておりますが、

中野キルタンナイトは

台風決行です。

どなた様も、ご注意の上、気をつけておいで下さい。

(無理だと思ったら断念してね。なにとぞ、自己責任なので。BYCなかのではやっています。)

10月26日土曜日 午後5時〜9時 

中野キルタンナイト


会費  1500円
場所  BYC中野 中野区中野5−6−6  03−5380−6210
    govindas_murata@yahoo.co.jp 07065248097 (ヤムナまで)



ご予約、どんどん受け付けております。





ところで、先日思い出したことがあります。

かなり昔、私が二十歳の頃だから、今から30年ほど前の話です。

さだまさしさんの『防人の詩」ってご存知ですか?

彼は、日本人の情緒を、美しい日本語と、メロディーと、声と、おしゃべりで伝えられる素晴らしい才能を持った方だと思います。

今日は、この詩を、ヤムナの勝手な解釈でお話ししてみたいな、と思います。

まずは詩です。


防人の詩   さだまさし

おしえて下さい
この世に生きとし生けるものの
すべての命に 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

私は時折 苦しみについて考えます
誰もが等しく 抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いていく悲しみと
病の苦しみと 死にゆく悲しみと
現在(いま)の自分と

答えて下さい 
この世にありとあらゆるものの
すべての命に 約束があるのならば
春は死にますか 秋は死にますか
夏が去るように 冬が来るように
みんな逝くのですか

わずかな命の きらめきを信じていいですか
言葉で見えない ”望み”といったものの
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちてくる
なりわいの中で

おしえて下さい
この世に生きとし生けるものの
すべての命に 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な 故郷もみんな 逝ってしまいますか

海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な 故郷もみんな 逝ってしまいますか



マドゥに言ったら、暗すぎる、と脚下されたのですが。
私の、見解だと、そんなに暗くはないと思います。

ただ、この質問に答えるとしたら

海は死にますか
山は死にますか
風はどうですか
空もそうですか・・・

答えは

五大元素(つまり、この物質界を構成しているもの)=土・水・火・空気・空間で作られているものすべて、私たちの肉体を始めとして全ての物質的なものたちは皆死にます。
海は 水
山は 土
風は 空気
空は 空間(エーテル)
です。

今日本でも流行っていますアーユルヴェーダなど習ってらっしゃる方は、物質の五大要素のことはよくご存知と思います。

春は死にますか、秋は・・時間のことですね。カーラ(時間)です。
春夏秋冬、季節は去来しては過ぎ去っていきます、つまり死にます。

そして心は死にますか。。はい,死にます。
心も物質でできたもので、一時的にあらわれては消えてゆきます。
  
女ごごろと秋の空なんて、うまく言っていますよね。心は、コロコロ変わります、変化しています。

ということで、答えは,はいこの世界にあるものは全て死にます。



でもね、2つのキーワードがあって、


生きる苦しみ
年老いる悲しみ
病の苦しみ
死にゆく悲しみ

ブッダが出家するきっかけとなった、4つの門で見たものです。
生老病死、避けることのできない
すべての命に与えられたものです。
ヴェーダでは、この生老病死が何度も何度も続いていくことをサンサーラといいます。

では、このサンサーラを超えるにはどうしたら良いのでしょうか?

この
生老病死のくだりのあと

『現在(いま)の自分』と、といっています。

この言葉は、とっても重要です。

生老病死という体の宇宙を生きている存在にとって、唯一、”命”という永遠性に出会えるドアは、まさに”今ここ”しかないんです。

”今ここ”の永遠の命のきらめきを、クリシュナ(神というすべての喜ばしいものの源)につなげたら、この世界で生きていても、もう大丈夫。何の心配もありません。

どういう意味かって?
つまり永遠に死にません。

”今ここ”に、生きることができれば、命が永遠なのではなく、命のきらめき(つまり意識です)、それこそが永遠にあり続けるものだ、と気付き続けれるからです。過去にも未来にも行くことはありません。永遠の、今に居続けることができます。

そして2つ目のキーワードは望み」です。
魂の、栄養は望みであると言っても、過言ではありません。

なぜなら、人は望みがないと生きてゆくことはできない存在ですから。※注1
ほんとですよ。
このことに、反論する事がどうやってできましょうか!?

彼は,ここで言葉で見えない望みと唄っています。
望み、言葉で見えない”望み”を、私たち一人一人がこの短い人生で自分で見つけて、育んでいくものかな?
と思います。


でも、言葉に見えない望みを、どうやって見つけていくんだろう。

それは、この上ない喜びの源(神)に、自分という存在の全てを
与え続けることのなかに見いだせるのかもしれません。

または、その方向性をめざすこと自体、それを”望み”というのだと、わたしは思います。



ま、言葉では見えないものなので・・・自分で探すしかないのでしょうね。
しかも、外に探すのではなく、意外にもに自分のなかにもともと備わっているものだったりします。

少なくとも、言葉で見えないことにこそ、本当の価値があると言う事は、言えるかもしれませんね。




それを見つけることこそが、ここに生まれた訳ですね。




次の人生のために。











※注1  興味のあるかたは、ヴィクトール・フランクルの
     『夜と霧』をお読みになることをおすすめします。
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# by govindasyamuna | 2013-10-13 01:26 | 瞑想 イベントのお知らせ
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ヨガってアサナだけじゃない、食事、瞑想、哲学、音楽を通してバクティヨガを日々の生活に取り入れましょう。生きる力を感じて内面はエキサイトして、外見はクールに生きるお手伝をします。


by govindasyamuna
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